愚管抄_歴史の推移と道理
愚管抄_歴史の推移と道理
このやうを、日本国の世の初めより次第に王臣の器量果報衰(をとろ)へ行くに従ひて、かかる道理を作り換へ作り換へして世の中は過ぐるなり。劫初劫末の道理に、仏法王法、上古中古、王臣万民の器量をかくひしと作り表(あら)はする也。さればとかく思ふとも叶(かな)ふまじければ、叶はでかく落ち下る也。
かくはあれど内外典(ないげてん)に滅罪生善と<いふ>道理、遮悪持善といふ道理、諸悪莫作(まくさ)、諸善奉行といふ仏説のきらきらとして、諸仏菩薩の利生(りしやう)方便といふものの一定(いちぢやう)またあるなり。これをこの初めの(=上記の)道理どもに心得合はすべきなり。いかに心得合はすべきぞと言ふに、さらにさらに人これを教ふべからず。智恵あらん人の我が智解にて知るべきなり。但しもしやと心の及び言葉の行かん程をば申し開くべし。
大方古き昔のことは、ただ片端を聞くに皆よろづは知らるる心ばへの人にて、記し置く事極(きは)めてかすか也。これを見て申さむことは、ひとへの推量のやうなれば、又此頃の人は信を起こさぬことにて侍らんずれば、細かに申しがたし。をろをろは、又やがて事のけずらい(=核心)をば、さやうにやと云ふ事は書きつけ侍りぬ。