愚管抄_松殿の政務掌握
愚管抄_松殿の政務掌握
さて義仲は、松殿の子十二歳なる中納言、八歳にて中納言になられて八歳の中納言と云異名ありし人を、やがて内大臣に成して摂政長者になり、又大臣の闕もなきに実定の内大臣を暫とてかりてなしたれば、世にはかるの大臣と云異名又つけてけり。さて松殿世をおこなはるべきにて有りき。さしも平家にうしなはれ給てしかば、この時だにもなど云心にこそ。
さて除目おこなひて善政とをぼしくて、俊経宰相になしなどしてありし程に、かヽる次第なれば、一の所の家領文書は松殿皆すべてさたせらるべきにて、近衛殿はほろヽヽと成りぬるにてありければ、法皇の近衛殿をいかにもいかにもいとをしき人に思はせ給て、賀陽院方の領と云は、近衛殿のてヽの中殿賀陽院の御子になりてつたへ(給へ)る方なれば、そればかりをば近衛殿にゆるさるべしやと、その世にも猶院より仰られたりけるを、しかるべからぬやうに返事を申されたりける、くちをしくをぼしめしたりける也。松殿なんど程の人も、かくて木曾が世にて、世をながくしらんずとをぼしけるにやと返返くちをしき事也。九条殿はうるせく、その時とりいだされずして松殿になりけるをば、事がらも十二歳のをもて方こそあさましけれど、松殿の返りなりたるにてこそあれ、いみじいみじとて、我れのがれたるをば仏神のたすけとよろこばれけり。