愚管抄_村上源氏の進出
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愚管抄_村上源氏の進出
これをきこしめして、「さやうのむすめもたらば、とくヽヽ東宮へまいらせらるべきなり」と仰られけるを、うけ給はりかしこまりて、やがて御前をたちて、世間もをぼつかなかりつるに、いまはひしと世はをちいぬること、いそぎ宇治殿にきかせまいらせんとをぼして、内裏より夜ふけてやがて宇治へいられければ、「人はしらせてうぢのかけかへの所々へ、ひきかへの牛まいらせよ」とて、宇治へをもむかせ給けり。身もたへ心もすくよかなるほどをしはかられてありけるに、
うぢには又入道殿は小松殿といふ所にをはしけるが、なにとなく目うちさまして、「心のさはぐやうなる」とて、御前に火ともして、「京の方になにごとかあるらん」などをほせられければ、その時まで宇治のへんは、人も居くろみたるさまにてもなくて、こはた岡のやまでもはる※※とみやられてありけるに、人まいりて、「京の方より火のをヽくみへ候」と申ければ、あやしみをもへるに、「よくみよ」と仰られけるほどに、「たヾをほにをほくなり候て、宇治の方へもふでき候」と申ければ、「左府などのくるにや。夜中あやしきことかな」とて、「よくきけ。みよ」などをほせられけるほどに、随身のさきのこへかすかにしければ、かうヽヽと申ければ、さればよとをぼして、「火しろくかヽげよ」など仰られてありけり。随身のさきはみな馬上にて、みなかやうのをりはをふことなり。魔縁もをづることぞなどいひならへるなるべし。
さていらせ給を御覧ずれば、束帯をたヽしくして御前にまいりていられければ、いかにもことありとをぼして、「いかにいかに何事ぞ」と仰られければ、
「日ごろをほせのごとく参内日をかヽずつかうまつり候つるほどに、このゆうかた「御前のめし候」と蔵人きたり申候つれば、まいりて候つるほどに、こまやかに御物がたりども候て、「むすめあらば東宮へとくまいらせよ」と云勅定を眼前にうけ給候つれば、いそぎまいりて申候なり」と申されければ、
これをきかせ給て、宇治殿はさうなくはらヽヽと涙をおとして、「世中をぼつかなかりつるに、あはれなをこの君はめでたききみかな。とくヽヽいでたちてまいらせられよ」とて、ひしヽヽとさたありて、
東宮と申は白河院なり、東宮の女御にまいらせられにけり。くらいにつかせ給ては、中宮と申、立后ありて、いまに賢子の中宮とて、ほりかはの院の御母これなり。ひとへに一の人の御子のきさきの例にけふまでももちいれども、又源氏之むすめにて、ほりかはの院の位の御ときは、近習にてはこの人々をほく候はれけり。
後三条の聖主ほどにをはします君は、みな事のせんのすゑ※※にをちたヽんずる事を、ひしと結句をばしろしめしつヽ御さたはある事なれば、摂籙の家関白摂政をすヾろににくみすてんとは何かはをぼしめすべき。たヾ器量の浅深、道りの軽重をこそと(を)ぼしつヽ、御沙汰はある事なるを、
すゑざまには王臣中あしきやうにのみ近臣愚者もてなしもてなししつヽ、世はかたぶきうするなり。王臣近臣、世にあらん緇素男女、これをよくヽヽ心うべき也。内々のすゑざまの人の家のをさむるやうも、たヾをなじことにて、随分+にはある事ぞかし。さればけふまでも大むねはたがふ事なし。その中の細なりの事は、みな人の心による事なるを、末代ざまはその人の心に物の道りと云ものヽ、くらくうとくのみなりて、上は下をあはれまず、下は上をうやまはねば、聖徳太子いみじくかきをかせ給ふ十七の憲法もかいなし。それを本にして昔よりつくりをかれたる律令格式にもそむきて、たヾうせに世のうせまかる事こそ、こはいかヾせんずるとのみかなしき事なれども、猶百王までたのむ所は、宗廟社稷の神々の御めぐみ、三宝諸天の利生なり。この冥衆の利生も、又なかばヽ人の心にのりてこそ、機縁は和合して、事をばなする事にて侍れ。
それも心ゑがたくふかしぎの事のみ侍るべし。