愚管抄_慈円の功績
愚管抄_慈円の功績
「かヽる事聞へ候は、こはいかに候事哉。先如此の事は怨霊とさだめられたる人にとりてこそさる例多く候へ。故院の怨霊に君のためならせ給ふになり候なんずるは。又八幡大菩薩体に宗廟神の儀に候べきにや。あらたなる瑞相候にや。たヾ野犴・天狗とて、人につき候物の申事を信じて、かかること出き候べしやは。それはさる事にて、すでに京中の諸人これを承て、近所にたちて候趣、これを聞き候に、故院は下臈近く候て、世の中の狂ひ者と申て、みこ・かうなぎ・舞・猿楽のともがら、又あか金ざいく何かと申候ともがらの、これをとりなしまいらせ候はんずるやう見るこヽちこそし候へ。たヾ今世はうせ候なんず。猶さ候べくば誠しく御祈請候て、真実の冥感をきこしめすべく候」と云よしを申たりけるを、
やがて院きこしめして、「我もさ思ふ。めでたく申たる物かな」とて、やがてひしとこの事を仰合て、「仲国が夫妻流刑にをこなうべきか」と仰せ合せられたりければ、僧正又申けるやうは、
「この事はつやヽヽときつねたぬきもつき候はで、我心より申いでたるにて候はヾ、尤々流刑にもをこなはれ候べし。それが人不思議の者にて候と申ながら、それはよもさは候はじ。先に兼仲と申候し者の妻もかヽる事申いで候けり。それも物ぐるはしきうつは物の候に、必狐天狗など申物は又候ことなれば、さやうの物は、よのまことしからず成て、我をまつりなどするを一だん本意にをもいて、かく人をたぶらかし候事は昔今の物語にも候。又さ候べき事にても候なり。それがつきてさる病をし出して候にてこそ候へ。病ひすとて上より罪にをこなはるべきにても候はねば、たヾきこしめし入られ候はで、片角なんどにをいこめてをかれて候はヾ、さる狐狸はさやうに成候へば、やがてひき入りてをともし候はぬに候。さてたヾ事がらをや御覧候べく候らん」と申されたりければ、
「いみじく申たり」にて、その定に御さた有て、をいこめられたりければ、つの国なる山寺に仲山とかやに居てありける程に、又二めに物つきたりと云事もなくて、みそヽヽとしてさてやみにけり。心ある人はこれをかんぜずと云ことなし。浄土寺の二位もしらけヽとしてやみにけり。かヽる不思議こそ侍けれ。仲国は後にはふるされて、卿二位がうしろみにつかいてあん也。
これを思ふに、この院の御事はやむごとなくをはします君也。わが御心には是を正義とのみをぼしめしけるなるべし。それがあさましき人々のみ世にありて、口々に申になれば、又さもやとをぼしめすなるべし。さればあやうき事にて、もしかヽるさかしき人もなくば、さはふしぎもとげられて、一旦の己国は邪魔にせられなんずるはと、あさましくこそ。此天狗つき共は赦免せられていまだ生て侍也。