愚管抄_後鳥羽新帝の出現
愚管抄_後鳥羽新帝の出現
かくてひしめきてありける程に、いかさまにも国王は神璽・宝剣・内侍所あいぐして西国の方へ落給ひぬ。この京に国主なくてはいかでかあらんと云さたにてありけり。「父法皇をはしませば、西国王安否之後歟」などやうヽヽにさたありけり。この間の事は左右大臣、松殿入道など云人に仰合けれど、右大臣の申さるヽむねことにつまびらか也とて、それをぞ用ひられける。
さていかにもいかにも践祚はあるべしとて、高倉院の王子三人をはします。一人は六はらの二位やしないて船にぐしまいらせてありけり。いま二人は京にをはします。その御中に三宮・四宮なるを法皇よびまいらせて見まいらせられけるに、四宮御をもぎらいもなくよびをはしましけり。又御うらにもよくをはしましければ、四宮を寿永二年八月廿日御受禅をこなはれにけり。よろづ新儀どもなれど、仰合つヽ、右大臣ことに申をこなひて、国王こヽに出きさせをはしまして、