愚管抄_後三条天皇の過ち
from 愚管抄
愚管抄_後三条天皇の過ち
後三条院の位の御時、公卿の勅使たてられけるに、震筆宣命をあそばして、御侍読にて匡房江中納言はありけるに、みせさせをはしましけるに、ひがことせずと云よしあそばしたりける所を、よみさしてありければ、いかにいかにひが事したる事のあるかと仰られけるを、かしこまりて申さヾりければ、たヾいへヽヽとせめ仰られければ、「実政をもちて隆方をこされ候しことはいかヾ候べからん。をぼしめしわすれて候やらん」と申たりければ、御顔をあかめて、告文をとりて内へいらせ給ひにけり。
これは東宮の御時、実政は東宮学士にて祭の使してわたりけるを、隆方がさじきをして見けるが、たからかに「まちざいはいのしらがこそ見ぐるしけれ」と云たりけるをきヽて、まつりはてヽいそぎ東宮にまいりて、「まさしく隆方がかヽる狂言をこそきヽ候つれ」と申たりけるを、きこしめしつめて、位の後御まつりことに、隆方は右中弁なりけるに、左中弁あきたるにすぐにこして、実政を左中弁にくはへられたりけるなり。これを世の人、実政はいかでか隆方をこへんと思ゑりける事を申たりけりとこそ世の人申けれ。
又我御身に仰られけるは、隆国が二男隆綱が年わかくて、をやばかりの者どもをこへて、宰相中将にてある事は、宇治殿(の)まつりことゆヽしきひがことヽをもいし程に、大神宮のうたへ出きて、神宮の辺にてきつねをいたることありけるさだめに、参議の末座にまいりて、定め文当座にかきけるに、射たれども射殺たりと云ことはたしならず、そのつみはいかヾなんど申人々ありけるを、雖聞飲羽之由、未知丘首之実とかきたりけるを御覧じては、かぎりなくほめをぼしめして、「隆綱が昇進過分なりと思ひしはひが事なりけり。かう程の器量の者にて有けるとこそしらね。道理なりけり」とこそ仰られけれ。大方理非くらからぬ君は、かくひがことヽをぼしめすをも、またかくこそ仰ことありけれ。礼記文にきつねしぬるときは、つかをまくらにすと云ふこと、又将軍はをのましむる威など云ことを、文章ゑたる者は思ひ出あはせて、やすヽヽとかきあらわしたる事を、世の人しありがたき事とをもへりけりとぞかたるめる。