愚管抄_平家都落ちと義仲の入京
from 愚管抄
愚管抄_平家都落ちと義仲の入京
その中に頼盛が山しなにあるにもつげざりけり。かくと聞て先子の兵衛佐為盛を使にして鳥羽にをひつきて、「いかに」と云ければ、返事をだにもゑせず、心もうせてみゑければ、はせかへりてその由云ければ、やがて追様に落ければ、心の内はとまらんと思ひけり。又この中に三位中将資盛はそのころ院のおぼゑしてさかりに候ければ、御気色うかヾはんと思けり。この二人鳥羽より打かへり法住寺殿に入り居ければ、又京中地をかへしてけるが、山へ二人ながら事由を申たりければ、頼盛には、「さ聞食つ。日比よりさ思食き。忍て八条院辺に候へ」と御返事承りにけり。もとより八条院のをちの宰相と云寛雅法印が妻はしうとめなれば、女院の御うしろみにて候ければ、さてとまりにけり。資盛は申いるヽ者もなくて、御返事をだに聞かざりければ、又落てあいぐしてけり。
さて廿五日東塔円融房へ御幸なりてありければ、座主明雲はひとへの平氏の護持僧にて、とまりたるをこそわろしと云ければ、山へはのぼりながらゑまいらざりけり。さて京の人さながら摂籙の近衛殿は一定ぐして落ぬらんと人は思ひたりけるも、ちがいてとヾまりて山へ参りにけり。松殿入道も九条右大臣も皆のぼりあつまりけり。
その刹那京中はたがいについぶくをして物もなく成ぬべかりければ、「残なく平氏は落ぬ。をそれ候まじ」にて、廿六日のつとめて御下京ありければ、近江に入りたる武田先まいりぬ。つヾきて又義仲は廿六日に入りにけり。六条堀川なる八条院のはヽき尼が家を給りて居にけり。