愚管抄_奈良の都
from 愚管抄
【奈良の都】つづき
さて聖武は廿五の御歳、養老八年甲子二月四日甲午大極殿にて御即位有りけり。廿五年たもたせ給。この御時仏法はさかりなり。吉備大臣・玄昉僧正等入唐して、五千巻一切経をわたさる。東大寺作られたり。行基菩薩諸国の国分寺をつくる。かやうにして仏法はこの御時にさかりにきこゆ。皇子おはしまさで皇女に位をゆづりて、天平勝宝のとしおりさせ給て八年おわします。孝謙天皇是也。この御時、八幡大菩薩、託宣有て、東大寺をおがませ給んために宇佐より京へおわしますと云り。この時、太上天皇・主上・皇后・皆東大寺へまいらせおわしましたりけり。内裏に天下大平と云文字すヾろにいできたりけり。
聖武天皇は位おりさせ給て、太上天皇にて八年までおわしましてうせさせ給ける後、御遺勅にて孝謙天皇の御さたにて、天武天皇孫、一品新田部親王御子式部卿道祖王と申けるを立太子有けるほどに、いかにおはしましけるにか、聖武御追善以下事も無下に思いれ給はず、ことにをきて勅命にもかなわぬ事にて有りければ、東宮をとヾめてこと人を立まいらせんと、公卿どもにおほせあわける中に、大炊王と申けるを東宮にたてて位をゆづり給けるほどに、又其大炊王悪き御心おこりて、ゑみの大臣と一心にて、孝謙をそむき給ければ、王位をかへしとりて淡路国にながしまいらせて、重祚して位にかへりつき給にけり。淡路の廃帝と云帝王は是也。
孝謙をばこのたび称徳天王と申ける。此女帝道鏡と云法師を愛せさせ給て、法王の位をさづけ、法師どもに俗の官をなしなどして、さまあしきことおほかり。ゑみの大臣のおぼえも道鏡にとられてあしざまになりにけるにや。たヾ人にはおわしまさず。西大寺の不空羂索のものがたりも有り。これらはみないひふりたる事どもなり。かうほどのことは後の例にもならず。いかにも権化の事どもと、このさかひのことをば心得べき也。このたびは位五年にて、御歳五十三にてうせ給ける。