愚管抄_天台座主明雲の最期
愚管抄_天台座主明雲の最期
さて山の座主明雲、寺の親王八条宮と云院の御子、これ二人はうたれ給ぬ。明雲が頚は西洞院河にてもとめ出て顕真とりてけり。かゝりけるほどにそれにぐして見たる者の申けるは、
「我かためたる方落ぬと聞て、御所に候けるが、長絹の衣に香のけさぞきたりける、こしかきも何もかなはで馬にのせて弟子少々ぐして、蓮花王院の西のついぢのきはを南ざまへ逃けるに、その程にてをヽく射かけヽる矢の、鞍のしづはの上より腰に立たりけるを、うしろより引ぬきける。くヽりめより血ながれ出でけり。さて南面のすゑに田井のありける所にて馬より落にけり。武者ども弓をひきつヽ追ゆきけり。
弟子に院の宮、後には梶井宮とてきと座主になられたりしは、十五六にて有けるは、かしこく「われは宮なり」と名のられければ、生どりに取て武者の小家に唐櫃の上にすゑたりけり」とぞ聞へし。
八条宮はぐしたりける人あしく、衣けさなんどをぬがせ申て、こんのかたびらをきせたてまつりたりければ、はしりかヽりて武者のきらんとしけるに、うしろに少将房とてちかくつかはれける僧は、院の御所に候源馬助俊光と云があに也、その僧の、「あに」と云て手をひろげたりけるかいなを、打落すまでは見きと申者ありけり。
山座主が頚をとりて木曾にかうヽヽと云ければ、「なんでうさる者」と云ければ、たヾ西洞院川にすてたりけるなめり。
「院の御前に御室のをはしける、一番に逃給ひにけり。口惜き事也」とぞ人申し。
明雲は山にて座王あらそいて快修とたヽかいして、雪の上に五仏院より西塔まで四十八人ころさせたりし人なり。すべて積悪をヽかる人なり。西光が頚きらるヽ日は、山大衆西坂本にくだりて、「これまで候」などいはせて、平人道は、「庭にたヽみしきて、大衆大だけへかへりぼらせ給ふ火のみゑ候しまでは、をがみ申候き」など云けるとぞ聞へし。かやうにて今日は又この武者して候ことこはいかにと、さすがに世の末にもふかくかたぶく人多かりけり。
寺の宮は尊星王法をこなはれけり。院事をはしますべくはかはりまいらせんと祭文にかヽれたりけりとぞ申し。又三条宮寺にをはせしを、追いだす方の人なりきなども申き。いかにもいかにもこの院の木曾と御たヽかいは、天狗のしわざうたがいなき事也。これをしづむべき仏法もかく人の心わろくきはまりぬれば、利生のうつは物にあらず。術なき事なり。