愚管抄_多すぎる高官位の人
from 愚管抄
愚管抄_多すぎる高官位の人
さればこは如何にすべき世にか侍らん。この人の無さを思ひ続くるにこそ、徒(あだ)に、くさくさ心も成りて、待つべき事も頼もしくもなければ、今は臨終正念にて、とくとく頓死をし侍りなばやとのみこそ覚ゆれ。
この世の末に、あざやかにあな浅ましと見えて、かかれば成りにけりと覚ゆる印(しるし)には、摂籙経たる人の四五人四五人並びて葛(つづら)として侍るぞや。これは前官にて一人あるだにも猶ありがたき職どもを、小童(こわら)べの歌ひて舞ふ言葉にも、九条殿の摂政の時は、「入道殿下(基房)、小殿下(師家)、近衛殿下(基通)、当殿下(兼実)」と云ひて舞ひけり。それに良経摂政に又なられにしかば五人になりにき。
天台座主には慈円・実全・真性・承円・公円と五人あんめり。奈良(=興福寺)には信円・雅縁・覚憲・信憲・良円ありき。信憲も覚憲が生きたりしに<座主に>成りたりしやらん。
十大納言、十中納言、散三位五十人にもやなりぬらん。僧綱には正員(しやうゐん)の律師百五六十人になりぬるにや。故院(=後白河法皇)の御時、百法橋(ほつけう)と云ひてあざみけん事のやさしさよ(=恥づかいことよ)。僧正、故院の御時までも、五人には過ぎざりき。当時、正僧正一度に五人出で来て十三人まであるにや。前僧正又十余人あるにこそ、衛府は数(かぞ)へあらぬ程なれば、とかく申すに及ばず。
「官、人を求む」と云ふ事は言ひ出だすべき事ならず。人の官を求むるも今は失せにけり。成功々々と猶求むるに、成さんと云ふ人なし。されば半(なか)ばにも及ばで成すをいみじきに今はしたるとかや。それにとりて、この官位の事はかくはあれども、さてあらるる事にてありけり(=それは充分あり得ることである)。又世の末の手本(=典型)とも覚えたり。