愚管抄_因果の道理
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愚管抄_因果の道理
抑この宝剣うせはてぬる事こそ、王法には心うきことにて侍べれ。これをもころうべき道理さだめてあるらんと案をめぐらすに、これはひとへに、今は色にあらはれて、武士のきみの御まもりとなりたる世になれば、それにかへてうせたるにやとをぼゆる也。そのゆへは太刀と云ふ剣はこれ兵器の本也。これは武の方のをほんまもり也。文武の二道にて国主は世をおさむるに、文は継体守文とて、国王のをほん身につきて、東宮には学士、主上には侍読とて儒家とてをかれたり。武の方をばこの御まもりに、宗廟の神ものりてまもりまいらせらるヽなり。それに今は武士大将軍世をひしと取て、国主、武士大将軍が心をたがへては、ゑをはしますまじき時運の、色にあらはれて出きぬる世ぞと、大神宮八幡大菩薩もゆるされぬれば、今は宝剣もむやくになりぬる也。高倉院をば平民たてまいらする君なり。この陛下の兵器の御まもりの、終にこのをりかくうせぬる事こそ、あらはに心ゑられて世のやうあはれに侍れ。
大方は上下の人の運命も三世の時運も、法爾自然にうつりゆく事なれば、いみじくかやうに思ひあはするも、いはれずとをもふ人もあるべけれど、三世に因果の道理と云物をひしとをきつれば(道理③因果の道理)、その道理と法爾の時運とのもとよりひしとつくり合せられて、ながれくだりもゑのぼる事にて侍なり。
それを智ふかき人はこのことはりのあざやかなるをひしと心へつれば、他心智末来智などをゑたらんやうに、すこしもたがはずかねてもしらるヽ也。漢家の聖人と云孔子・老子よりはじめてみなこの定にかねていヽあつるなり。この世にもすこしかしこき人の物をおもひはからふは、随分にはさのみこそ候へ。さる人をもちいらるヽ世はをさまり、さなき人の、たヾさしむかいたることばかりをのみさたする人の、世をとりたる時は、世はたヾうせにをとろへまかるとこそはうけ玉はれ。