愚管抄_君と臣の道理
from 愚管抄
愚管抄_君と臣の道理
猶をろをろ(=大略)この世(=今の世)のやうを承(うけたまは)れば、摂籙の臣とて表(おもて)は用ゐる由にて、底には奇怪の物に思し召しもてなして、近臣は摂籙臣を讒言するを、君の御<意>に適ふことと知りて世を失なはるる事は、申しても申しても言ふばかりなき僻事にて侍る也。
これは内々小家(こいへ)の家主(いへぬし)、随分の後見(うしろみ)までただ同じことにて侍る也。それが随分々々の後見と主人と、ひしと相(あひ)思ひたる人の家のやうに治まり良きことは侍らぬ也。まして文武兼行の大織冠の苗裔(べうえい)と、国王の御身にて不和の仲らひにて、互ひに心を置きてあらんと云ふことは、冥顕(みやうけん)、首尾、始中終、過現当、いささかも事の道理に適ふ道侍りなんや。哀れ哀れこの道理こそ、いかにもいかにも末にはひしと作りまからんずらめとこそ、かねてより心得伏せて侍れ。
それが如何に申すとも<人力の>適ふまじき事にて侍るぞとよ、世の末に世の中は穏(をだ)しかるまじと云ふ道理の方へ、ふふと移(うつ)り移りし侍るなり。それに悪魔邪神はひしと悪(わろ)がらせんと取りなす処に、時運(じうん)しからしめぬれば、又三宝善神の化益(けやく)の力及ばず成りてんずと、事出で来ては衰へ衰へしまかりて、かく世の末と云ふことに成り下(くだ)り侍るぞかし。
そのやうは、時の君の強くうるさき摂籙臣をあらせじばやと思し召す御心の、世の末ざまにはいよいよ又強く出で来るなり。この僻事の由々しき大事(だいじ)にて侍る也。それに文武兼行の摂籙臣の強々(つよつよ)として、いかにもいかにもえ引き働(はたら)かすまじきが出で来む様(やう)に<は>、君の御意に適はぬ事は何事かはあるべき。ここに世は損ぜんずるなり。この道理を返々君の思し悟りて、この御僻事のふつとあるまじき也。
君は臣を立て、臣は君を立つる理(ことはり)のひしとあるぞかし。この理をこの日本国を昔より定めたる様(やう)と、又この道理によりて先例のさはさはと見ゆると、これを一々に思し召し合はせて、道理をだにも心得通させ給ひなば目出度かるべき也。