愚管抄_人材なき末の世
from 愚管抄
愚管抄_人材なき末の世
さて又一の人は四五人まで並びて出で来ぬ。その中に法性寺殿の子共の摂政になられたる中に、中の殿(基実)の子近衛殿(基通)、又松殿(基房)・九条殿(兼実)の子どもには師家・良経也。父人(ててと)に三人の中に九条殿は社稷の心にしみたりしかばにや、兄二人の子孫には、人と覚ゆる器量は一人もなし。松殿の子に家房と言ひし中納言ぞ良くもやと聞こえしを、卅にも及ばで早世してき。
九条殿の子どもは昔の匂ひに付きつべし。三人まで取りどりになのめならずこの世の人には褒められき。良通内大臣は廿二にて失せにし。名誉、人口に在り。良経又<執>政臣になりて同じく<能>芸群に抜けたりき。詩歌・能書昔に恥ぢず、政理(=政治)・公事父祖を継げり。左大臣良輔(よしすけ)は漢才古今に比類なしとまで人思ひたりき。卅五にて早世。かやうの人どもの若死(わかじに)にて世の中かかるべしとは知られぬ。あな悲しあな悲し。
今、良経、後の京極殿(=良経)の子にて、左大臣(=道家)只一人残りたるばかりにて、こと兄々の子息は人型にて迷ふばかりにや。そのほか家々に一人も採るべき人なし。諸大夫家にもつやつやと人も無き也。職事・弁官の官の名ばかりは昔なれど、任人(にんじん)は無きが如し。おのづからありぬべきも出家入道とのみ聞こゆ。掘り求めば三四<人>などは出で来る人もありなんものを、すべて人を求められばこそは、ありて捨てられたらん<人ありて>こそ、頼もしくも聞こえめ。さればこは如何がせんずるや、この人の無さをば。この中に実房は左府入道とて生き残りたるが、ただこの世(=今の世)の人の心になりたるとかや。
僧中には、山には青蓮院座主の後は、いささかも匂ふべき人なし。失せて後六十年に多くあまりぬ。寺(=三井寺)には行慶・覚忠の後、又つやつやと聞こえず。東寺には御室(=仁和寺)には五宮(=鳥羽天皇第五子)まで也。東寺長者の中には、寛助・寛信など云ふ人こそ聞こえけれ。盛(さか)りざまには理性(りしやう=賢覚)・三密(=聖賢)などは名誉ありけり。南京(=奈良)方には恵信法務流されて後は、誰(たれ)こそなど申すべき。寸法にも及ばず。覚珍ぞ悪しうも聞こえぬ。中々当時法性寺殿の子にて残りたる信円前大僧正、上なる人の匂ひにも成りぬべきにこそ。又慈円大僧正弟にて山には残りたるにや。