愚管抄_人あれどなきがごとし
愚管抄_人あれどなきがごとし
大方心ある人の無さこそ申しても申しても悲しけれ。かかれば<法師に>一の人の子の多さよ。この慈円僧正の座主に成りしまでは、山には昔より数(かぞ)へよく、摂籙の家の人の座主になりたるは、飯室(いいむろ)の僧正尋禅と、仁源・行玄・慈円とただ四人とこそ申ししか。当時(=今)は山ばかりにだに、一の人の子一度に並び出で来て十人にもあまりぬらん。
寺(=三井寺)・奈良(=興福寺)・仁和寺・醍醐と四五十人にもやあまりぬらん。一度に摂籙臣四五人まで前官ながら並びてあらんには、道理にてこそあれ。又宮たちは入道親王とて、御室の中にもありがたかりしを、山にも二人並びておはしますめり。新院(=土御門)・当今(=順徳)、又二宮(=高倉天皇第二子)・三宮(=同第三子)の御子など云ひて、数しらず幼き宮々、法師々々にと、師どもの元へ充てがはるめり。「世滅松」に聖徳太子の書き置かせたまへるも、哀れにこそ、ひしと適ひて見ゆれ。
これを昔は、されば、人の、子を儲(まう)けざりけるかと、世に疑ふ人多かりぬべし。よくよく心得らるべき也。昔は国王の御子々々多かれど、皆姓を賜はせて只(ただ)の大臣公卿にも為さるれば、親王たちの御子も沙汰に及ばず。
一の人の子も家を継ぎて、摂籙してんと思はぬほかは、みな只の凡人(ただびと)に振舞はせて、朝家(てうか)に仕(つか)へさせられき。次々の人の子も人がましかりぬべき子をこそ取り出だせ、さなきはただ這(は)ひ痴(し)れて止み止みすれば、ある人は皆よくて持て扱かふもなし。
今の世には宮も一の人の子も、又次々の人の子もさながら宮振舞ひ、摂籙の家嫡(かちやく)振舞ひにて、次々もよき親の様(やう)ならせんと、悪ろき子どもを充てがひて、この親々の取り出だせば、かくはあるなるべし。
又僧の中にもその所の長吏(ちやうり)を経つれば、又その門徒々々とて、出世の師弟は世間の父子(=親子)なれば、我も我もとその裁ち分け(=分派)の多さよ。
されば人無しとは、如何にもしかるべき人の多さこそとぞ言ふべき。哀れ哀れ「有若亡(うじやくまう)」、「有名無実」などいふ言葉を人の口につけて云ふは、ただこの料(れう=為)にこそ。かかればいよいよ緇素(しそ=僧俗)みな怨敵にして、闘諍(とうじやう)誠に堅固(=確実)なり。貴賎同じく人無くして、言語(ごんご)すでに道断侍りぬるになむ。しし(為仕?)以てまかりては、物の果てには問答したるが心は慰むなり。