愚管抄_世界の盛衰の理法
from 愚管抄
世界の盛衰の理法
其後やうヽヽのいらんはおほかれども、王法仏法はたがひにまもりて、臣下の家魚水合体のたがうことなくて、かくめでたき国にて侍れども、次第におとろへて、今は王法仏法なきがごとくなりゆくやうを、さらに又こまかに申侍べき也。
大方は日本国のやうは、よくヽヽ心得て仏法の中の深義の大事を悟りて、菩提心をおこして仏道へはいるやうに、すこしもたがはず、この世間の事も侍るを、その侭にたがえず心うべきにて有るを、つやヽヽとこの韻に入て心得んとする人もなし。されば又え心得でのみ侍れば、かくは又うせまかる也。これ又法爾の様なれば、力はをよばねども、仏法にみな対治の法をとく事也。
又世間は一蔀と申て一蔀がほどをば六十年と申、支干おなじ年にめぐりかへるほどなり。このほどをはからひ、次第におとろへては又おこりおこりして、おこるたびは、おとろへたりつるを、すこしもちおこしもちおこししてのみこそ、今日まで世も人も侍るめれ。
たとへば百王と申につきてこれを心得ぬ人に心得させんれうにたとへをとりて申さば、百帖のかみををきて、次第につかふほどに、いま一二でうになりて又まふけくわふるたびは、九十帖をまふけてつかひ、又それつきてまうくるたびは八十帖をまふけ、或はあまりにおとろへて又おこるに、たとへば一帖のこりて其一帖いまは十枚ばかりになりて後、九十四五帖をもまうけなんどせんをば、おとろへきはまりて殊によくおこりいづるにたとうべし。或七八十帖になりてつかうほどに、いまだみなはつきず、六七十帖つきて、今十二十帖ものこりたるほどに、四五十帖を又まうけくはへんをば、いたくおとろへてぬさきに、又いたう目出からずひきかへたるにはあらでよきさまにをきたちたらんにたとふべきにて侍也。詮ずる所は、唐土も天竺も、三国の風儀、南州の盛衰のことはりは、おとろへておこり、おこりてはおとろへ、かく次第にして、
はてには人寿十歳に減じはてヽ、劫末になりて又次第におこりいでおこりいでして、人寿八万歳までおこりあがり侍也。その中の百王のあひだの盛衰も、その心ざし道理のゆくところは、この定にて侍也。是を昼夜毎月に顕さんとて、月のひかりはかけてはみち、みちてはかくることにて侍也。この道理をひしと心得るまへには、一切事の証拠はみなかくのみ侍也。盛者必衰会者定離と云ことはりは、是にて侍也。是を心得て法門の仏道に皆いるヽまでさとり侍べき也。この心を得て後々のやうも御覧ずべきにや。
神武より成務まで十三代は、ひしと正法の王位なり。自仲哀光仁まで三十六代は、とかくうつりてやうヽヽのことはりをあらはすにて侍也。このあひだ女帝いできて重祚とて、ふたヽび位につかせ給ことも、女帝の皇極と孝謙とにて侍るめり。女人此国をば入眼すと申伝へたるは是也。其故を仏法にいれて心得るに、人界の生と申は、母の腹にやどりて人はいでくる事にて侍也。この母の苦、いひやる方なし。此苦をうけて人をうみいだす。この人の中に因果善悪あひまじりて、悪人善人はいでくる中に、二乗、菩薩のひじりも有り、調達、くがりの外道も有り。是はみな女人母の恩なり。是によりて母をやしなひうやまひすべき道理のあらはるヽにて侍也。妻后母后を兼じたるより、神功皇后も皇極天王も位につかせおはします也。よき臣家のをこなふべきがあるときは、わざと女帝にて侍べし。神功皇后には武内、推古天王には聖徳太子、皇極天皇には大織冠、かくいであはせ給にけん。本闕
さて桓武の後は、ひしと大織冠の御子孫臣下にてそいたまふと申は、みなまた妻后母と申は、この大臣の家に妻后母后ををきて、誠の女帝は末代あしからんずれば、其の后の父を内覧にして令用たらんこそ、女人入眼の、孝養報恩の方も兼行してよからめとつくりて、末代ざまの、とかくまもらせ給と、ひしと心得べきにて侍也。
さて又王位の正法の、末代に次第にうせて、国王の御身のふるまひにて、万機の沙汰のゆかぬやうになるとき、脱の後に大上天皇ながら、主上を子にもちて、みだりがはしくはヾからず世をしらんといふはからひをも、後三条天皇はしいださせ給也。これはみな王法のおとろふるうへに又おこしたつるつぎめに、やうかはりてめづらしくて、しばし世をおさめらるべき道理のあらはるるなり。本闕