愚管抄_上皇は執政せず
from 愚管抄
上皇は執政せず
さて寛平は卅一にて御出家ありて、弘法大師門流真言の道をきはめて、承平九年に御年六十五にて御入滅とこそ承はれ。北野の御事のとき、内裏にまいらせおはしまして、いかにかヽることをばと申されけれども、国のまつりことをゆづりたまひてのちは、しらせおはしますまじとこそさだめられて候へとて、きヽ入させおはしまさずとこそは申伝て侍めれ。つゐにえ申いれさせ給はず。申つぐ人なかりけりとぞ又申める。それも心はたヾこの御心にてをこなはれけるなりけり。昔よりおりゐの御門になりて、よの事しらせ給ことはなきなり。よのすえになりてかくなるべしといふことも、いまだおぼしめしよらざりけん。君は臣をうたがひ、臣は君をへつらふことのいできたりて、中に大上天皇世をしろしめす也。めでたくうつりゆくなるべし。
この北野の御事は日蔵が夢記人もちゐねども、又ひがことにはあらぬなるべし。延喜は卅三年までたもたせ給たり。其後は三十年にをよびてひさしき御位はなし。