愚管抄_この書の趣旨
from 愚管抄
愚管抄_この書の趣旨
さて此日本国の王臣武士のなりゆく事は、事がらはこのかきつけて侍る次第にて、皆あらはれまかりぬれど、これはをりヽヽ道理に思ひかなへて、然も此ひが事の世をはかりなしつるよと、其ふしをさとりて心もつきて、後の人の能々つヽしみて世を治め、邪正のことはり善悪の道理をわきまへて、末代の道理にかなひて、仏神の利生のうつは物となりて、今百王の十六代のこりたる程、仏法王法を守りはてんことの、先かぎりなき利生の本意、仏神の冥応にて侍るべければ、それを詮にてかきをき侍なり。
そのやうは事ひろく侍れど、又々次ざまにかきつくし侍べし。其趣にひかれては、みむ人はねぶられてよも見侍らじ。このさきざまの事はよき物語にて、目もさめぬべく侍るめり、残る事のをヽさ、かきつくさぬ恨は力をよばず。
さのみはいかヾ書つくすべきなれば、これにて人の物語をも聞加ゑん人は、其まことそら事も心ゑぬべし。これにはかざりたる事、そらことヽ云事、神仏てらし給ふらん、一ことばも侍らぬ也。すこしをぼつかなかるべき事は、やがて其趣みへ侍めり。かきをとす事のをヽさこそ猶いやましく侍れ。さてこの後のやうをみるに、世のなりまからんずるさま、この二十年より以来、ことし承久までの世の政、人の心ばへの、むくいゆかんずる程の事のあやうさ申かぎりなし。こまかには未来記なれば申あてたらんも誠しからず。たヾ八幡大菩薩の照見にあらはれまからずらん。そのやうを又かきつけつヽ、心あらん人はしるしくはへらるべき也。
(以上、愚管抄巻第六了)