天智天皇
from 愚管抄
天智天皇 
十年 元年 壬戌。
諱葛城。舒明第一子。母は皇極天皇。
近江国大津の宮。
后九人。男女御子十四人。
太政大臣大友皇子。天皇第一子。太政大臣始自此。
内大臣大織冠藤原鎌子。天皇八年十月十五日為内大臣。姓藤原氏。同十六日薨。年五十六。在官廿五年。
此外左右大臣等有六人。此御門孝養の御心深くして、御母斉明天皇失給後、七年まで御即位し給はず。
御子の大友皇子を太政大臣とす。又諸国の百姓等を定め民の烟をしるす。又東宮の御時漏刻をつくらる。鎌足を内大臣になして始て藤原の姓を給ふ。
斉明天皇の位につかせ給ふ処にては、七年の後とも見えず、相続して不絶と見たり。失給て後七年まで国王もおはしまさぬには非ざるにや。七年とあるは天智の御即位あるべきを、猶御母の女帝に重祚をせさせ参らせて、七年の後崩御、其後御即位かと心得らるヽ。