【神皇正統記】
from 愚管抄と神皇正統記
【神皇正統記】
☆君徳を備えた天子の流れ=「正統」の歴史。いまの後村上天皇がいかに「正統」な天子か。その論証
*小田城に入った翌年(1339)完成。この執筆の途中で吉野では後醍醐天皇が崩御。
さても八月(はつき)の十日あまり六日にや、秋霧(あきぎり)にをかされさせ給てかくれましましぬとぞきこえし。ぬるが中(うち)なる夢(ゆめ)の世は、いまにはじめぬならひとはしりながら、かずかずめのまへなる心ちして老泪(おいのなみだ)もかきあへねば、筆の跡さへとゞこほりぬ。
→建武五年八月16日、この日後醍醐天皇は、峰々深く立ち込める秋霧に身を冒され吉野山中に薨ずという報せを遠く常陸の地で耳にした。何事も夢のごとくに儚きは世の習いと知りながら、在りし日の天皇と共にすごした長い歳月、数々の出来事、それらが走馬灯のように眼の前を通り過ぎるような心地がして、年老いた我が身には涙をとめる術もなく、筆をとる手も滞りがちである。
*或童蒙…
①後村上?(…幼帝とはいえ???)…村上天皇に献じたもの
(1)天皇の心構え。君徳が大切。君徳がなければ、その天皇の位は長く続かないし、子孫も栄えない。
(1)’正しい皇位の伝わり方の歴史
②結城親朝…東国武士に対するもの。小田城中で執筆された状況にも合致する。南朝の正統性を理解させ、これを支持する行動に立ち上がらせるための説得の書。
(1)彼らの欲する官職を授けうる唯一の正統の君主は南朝の天皇である
(2)官職は家柄と勲功とに応じて厳正に授けられるべきもの
(3)それゆえ武士たちはまず南軍(親房)に味方して忠節をつくさねばならない