【愚管抄の道理】
【愚管抄の道理】
*顕の道理と冥の道理(2つの道理)
*末法思想と四劫観(あと百王思想)
*現状肯定&事後追認
※王は百代
…百王という言葉は、本来は数多くの王、代々多数の君主という意味。平安時代の末頃から、末法思想の流布にともない、王は百代限りで滅亡するという考えが広まり、百代を限定的な数字と解するようになった。当時の順徳天皇は84代であったから、すでに残りは少なかったわけで、慈円にとっても無視することはできない問題となっていた。「神武天皇の御後、百王ときこゆる、すでにのこりすくなく、八十四代にも成にけるなかに」「たとへば百王と申につきてこれを心得ぬ人に心得させんれうにたとへをとりて申さば」「百王を数ふるにいま十六代は残れり」「百王のいま十六代残りたるほどは」「末代ざまの君の、ひとへに御心に任せて世を行なはせ給ひて事出で来なば、百王までをだに待ちつけずして、世の乱れんずる也。」
※「道理」の言葉の意味の多義・重層性。
・これはなに事もさだめなき道理をやうやうあらはされけるなるべし。男女によらず天性の器量をさきとすべき道理、又母后のおはしまさんほど、たヾそれにまかせて御孝養あるべき道理、これらの道理を末代の人にしらせんとてかヽる因縁は和合する也。
→このことは何事にも特別の決まりはないという道理をだんだんと明らかにされたものであろう。つまり、男女の性別よりも天性の才能を第一に考えるべきであるという道理や、母后が御在世の間はすべて母后のおはからいにまかせて、御子は高校をすべきであるという道理もあるわけで、これらの道理を末の世の人々に理解させるために、天皇がにわかに崩御なさり、才能のある皇后や孝行につとめる御子があらわれるなど、新しい道理を導き出すための内的・外的さまざまな原因が集まっているのである。
・かくのごとく分別しがたくて、とかくあるいは論じあるいは未定にて過ぐるほどに、ついに一方(いつぱう)に就きて行なふ時、悪ろき心の引く方にて、無道を道理と悪しくはからひて、僻事(ひがごと)になるが道理なる道理なり。
→この時代は無道なことが道理として通用し、世が衰えてゆくようにとりはからわれてゆくのが道理であるような道理によって支えられている世である。
前提「一切の法はただ道理と云ふ二文字が持つなり。」
ただし、すべてに道理を認めるのみでは、人間の判断や行動の基準は明らかにならない。
①人の行うべき正しい道(道徳的意味)…「御孝養アルベキ道理」「道理トイフモノハナキ」
②筋道・理屈…「タヾ一スヂノ道理ト云事ノ侍ヲ書置侍リタル也」「世ノ移リ行道理ノ一通リヲ書ケリ」
③2をもう少し具体的に把握して、因果の道理…「三世ニ因果ノ道理ト云物ヒシトヲキツレバ」「この怨霊も何もただ道理を得る方の応(こた)ふる事にて侍るなり」
…父子皇位相続の道理が変化。
④種々の道理(1~3)が競合する場合には道理の軽重を選択せねばならない。道理の相対的な把握の上に立って、それを超える道理、つまり一つの社会を支えている基本的な道理をよりどころにすることが必要…「仏法王法マモラルベキ道理」「コレ又臣下出クベキ道理也」
⑤そうした道理(4)は世の移り変わりに従って変化していくという道理。(4)もまたもう一つ外側から相対化されている。「ウツリマカル道理」「何事モサダメナキ道理」
※日常的な道理のほかに歴史の推移を見ようとした。仏教的な道理の考え方を取り入れることによって道理の相対化に成功。たぶん、この外側というか(空なので内外は無いけど)に三世常住の真理があるんだろう。
・これはなに事もさだめなき道理をやうやうあらはされけるなるべし。男女によらず天性の器量をさきとすべき道理、又母后のおはしまさんほど、たヾそれにまかせて御孝養あるべき道理、これらの道理を末代の人にしらせんとてかヽる因縁は和合する也。この道理を又かくしも、さとる人なし。
→このことは何事にも特別の決まりはないという道理をだんだんと明らかにされたものであろう。つまり、男女の性別よりも天性の才能を第一に考えるべきであるという道理や、母后が御在世の間はすべて母后のおはからいにまかせて、御子は高校をすべきであるという道理もあるわけで、これらの道理を末の世の人々に理解させるために、天皇がにわかに崩御なさり、才能のある皇后や孝行につとめる御子があらわれるなど、新しい道理を導き出すための内的・外的さまざまな原因が集まっているのである。ここに見られる道理というものの諸関係を理解している人はいない
・かくのごとく分別しがたくて、とかくあるいは論じあるいは未定にて過ぐるほどに、ついに一方(いつぱう)に就きて行なふ時、悪ろき心の引く方にて、無道を道理と悪しくはからひて、僻事(ひがごと)になるが道理なる道理なり。
→さて、こうして道理というものを分別することができなくなり、あれこれと論じたり、結論が出ないままで過ぎていくうちに、ついに一つの考えにしたがって事を処理すると、悪い心の誘う方向に流され、道理に反することを道理にしようと悪い企てをするようになり、間違った道をたどるようになるのが道理だという道理が現れる。
・人寿八万歳までおこりあがり侍也。その中の百王のあひだの盛衰も、その心ざし道理のゆくところは、この定にて侍也。
→(最初人間の寿命は八万四千年を最長としていたが、百年たつごとに一年ずつ減り、十歳になった時が最低で、つぎには百年ごとに一歳ずつ増して八万四千歳になる。その増減のサイクルを一劫という。)この巨視的な推移の中にある天皇百代の間の盛衰というものも、その目指すところの道理というものは、この大きな流れの理法に従っているのである。