シン・yasumiのメモ:『人を賢くする道具』第2章
本の読み方を内省する機会があり(4月20日のDiscordの雑談で)、第2章メモをやりなおします。■本書に沿った言い換えメモ、★本書から逸脱した連想メモ
第2章 世界を体験する
■1章の終わりの「新しいアイデア、新しいコンセプトをもたらす」内省のための体験は、どのような条件で引き出されるのか考えていく。最後は、体験的体験と内省的体験を組み合わせ、集中が持続する「フロー体験」の多い学習プロセスをつくろう、という話になる。
体験的認知と内省的認知
科学博物館の展示
問題点:教育や学びの場で、体験だけを提供している典型的なNG例
学習に興味を持たせる動機づけは確かに重要。それを言い訳に、見学者を短時間で興奮させる事に終始している(■手段の目的化)
見学者は、展示に使う「仮想像」の技術の裏側や、ブラックボックスの中身、法則・構造・理論・概念などの説明を受けられない
■ノーマンは、新たな知識を得る機会を与え、表面的でない学習をさせたい
051「学び、考え、内省する機会を与えるという難しい仕事を遂行」させたい。
051「動機づけとしての体験認知を内省的学習のための道具にどうやって結びつけ得るか」考えたい。
そのために役立つのは?
見学者が能動的に展示と出会えること。説明員が案内し、質問に答え、理解を助けること。
上記051を受け、ヒントは「アーケードゲーム」にあると言う。
デモ画面(アトラクターモード)が重要。(★スポーツのイメージトレーニングと同じ)
体験的認知と内省的認知が組み合わさっていて、両方使う仕組みになっている。
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★どちらの本も、学習における、現実と目標値と誤差学習、初心者と熟練者、順モデルと逆モデル、フィードバック制御器とフィードバックループとフィードフォワード制御器、について語られている。
■★つまり2章は、多層パーセプトロンが議論のベースにあるのではないだろうか。
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ひっかかった点
053「面白くてたまらない小説やテレビにどんなふうに虜になってしまうか〜これが体験的認知の例である」
なぜここでその話?と思ったが、055で回収された。
体験的処理は、すでに記憶の中にある情報を再活性化するだけ。
反射的で、推論も素早い(ただし浅い)。そのおかげでいちいち突っかからずに本が読める。(■スラスラ読める小説はこれにあたる)
2つのモードの説明。
体験認知:熟練した行為の本質とは。
何をすべきかが素早く効率的にわかる。体験的は、反応的。
洞察と情報をかなり必要とする意思決定が迅速に、無意識に処理され、はたからは努力なしに見える。
何年もの経験と訓練が必要で、努力して平静さ(メンタル)と技術、多様な情報の統合、手順の記憶、知識、比較を身につけている。
内省認知:内省的思考とは。
深い推論ができること。処理は遅く、面倒。
一時的に蓄積し、推論し、逆回しにし、やり直すこと。
■面倒なことを避けていたら内省はできない、ということか。
これをするには静かな環境が必要。
外部の記憶装置、ノートとかがあるといい。
ただし道具の表現は、いまやっている仕事(タスク)にマッチしなければならない。(■表現については3章が詳しい)。
2つのモードの注意点。
■ノーマンが体験と内省という簡略化された二分法を示しているのは、「人間の知覚は体験モードに都合よくできていて、内省したい時に体験してしまう」という問題提起を強調するためだと思う。
■認知の大部分は両方のモードを持っていて同時に使うこともできることを、覚えておかないといけない。
■つまり、体験的認知と内省的認知は対立も分離もしていなくて、組み合わせたり同時に駆動するようにしたりできるし、その複雑な混ぜ方を考えるのがこの本の目的の一つだと感じた。
ちなみに、空想はどちらの思考モードにも分類できない。
次に、外部の道具をどうデザインするかの話。
道具はどちらのモードでも見えないように、邪魔にならないことが大事。
内省モード:概念を駆動するモード。プランニングや吟味。
そのための道具は比較や評価、アイデアの探求を支援するものにする。
体験モード:認知を駆動するモード。パフォーマンス。
そのための道具は、豊かな感情刺激をうまく利用する。
NG四パターン
体験モードのための道具(カメラ、車)なのに、内省を要求する
比較・探索・問題解決の助けにならない、内省のための道具(文字や図、ディスプレイ上の表示)
体験すべきときに内省してしまうこと
内省すべきときに体験してしまうこと。これが最大の問題。
内省すべきときに体験してしまう問題について。
060「人は思考が体験モードなのに、自由で建設的な思考や、推論、内省をしたと思い込みやすい」
くだらない小説は真面目で理知的なものより人気があるetc.
体験モードの枠にはめた番組は、視聴者が内省し自分の考えをもつ時間を与えない。
■ノーマンが嘆くくだらないものとは、内省のための時間を与えないやりくちのこと。
★TVの話し方は今もそうで、間や沈黙を作らない。それに触れ続けると、テレビ的な話し方をするようになってしまう(人との会話を録音すると気づける)。
■社会構造の問題との再リンク
第1章でも出てきた、これは社会構造の問題でもあるという事が、再び示されている。
061「精神生活の豊かさには体験的思考と内省的思考が重要である。これらのバランスをきちんととることが現代社会に課せられた厳しい知的挑戦なのである。」
二種類の認知、三種類の学習
学習の3種類の型。
蓄積:主に体験モード(アトラクターモード)
知識の貯蔵庫への追加。概念的枠組みを持っていないと蓄積に時間がかかる。
助けとなる道具は、反復、記憶術、紙に書く
調整:主に体験モード(アトラクターモード)
複雑なパフォーマンスや体を多く使うスポーツなどのスキルが、初心者レベルから専門家の熟練レベルになるプロセス。時間がかかる。最低5千時間。
練習は、知識を構造化する。構造化によって意識せず行なえる体験的思考になっていく。(■フィードバック、誤差学習)
助けとなる道具は、練習(■デモ、ガイダンス、コーチ)。
そして一度得た熟練行動は、再調整により維持される。
再構造化:内省モードが不可欠
適切な概念構造を形成すること。これは骨の折れる仕事。
助けとなる道具は、探求、比較、まとめる事を可能にするもの
課題:再構造化という大変な仕事をどうやって学習者に能動的にやってもらうのか?
065 動機付けの研究へと話が続く。
動機づけられた活動は、やりがいがある(おもしろい)。
エンタテイメントが内省の引き金になることもある
例:大きな買い物、旅行。事後に情報を調べるため
■これは蓄積で体験的だろう。内省の引き金になるかどうかは疑問が残る。
至高のフロー
至高のフローとは、絶え間なく集中すること。完全な没頭の持続。トランス状態。
どういうときにおこるか?
本、遊び、テレビ、ゲーム、音楽。
体験的認知に集中するとき。強い集中は、体験モードで維持されやすい。
集中して問題を内省するときは、自分で状態をコントロールできる。
■熟練者がゾーンに入るためにやっていること、みたいなことか? このあとも2回ほど同じ事を言っているが、いまひとつピンとこない。
068 で、再びゲームの話に戻る。
ゲームをうまくやるには、勉強に要求されるのと同種の学習、理解、実践が必要。
学習がゲームの学習のように魅力的で楽しくあってもいいのではないか。
問題点:動機づけや楽しみ、満足の根底にあるものについて、認知科学は研究不足である。
問題の背景:測定がほぼ不可能なものを研究するソフト・サイエンスを断念し、人間の「主観的な体験や情動、社会的インタラクションをなおざりに」してきたため。
「仕事や物事をどのように構造化したら体験を作り、維持し、増強するのに良いのかほとんどわかっていないのである」
そこで、チクセントミハイを引用する
069フロー体験を助ける活動には「目標やフォードバック、ルール、チャレンジという特性が組み込まれていて、これらすべてが人を自分自身の仕事に引き込み、集中させ、夢中にさせる」
人は自分でこの特性を組み込むことができる(■できるのか?)
職場や学校がこのしかけを提供することもできるのに、ほぼ行われていない。
ブレンダ・ローレルも引用する
スポーツと演劇への関与は、知覚的体験の質が高いと「一人称的」になる
「一人称的」とは、自ら活動にのめり込む、自分自身を投影する、出来事を共有する
「三人称的」とは、受身、見物人
朗報
「活動のフローと関与間を適切に作り維持するためのノウハウや理論はたくさんある」
スザンヌ・ボトカーも引用する
注意の分断を研究した人。
道具もフローを妨害する、集中を妨げる。
「タスクを遂行するとき人は焦点と目標をもつ」
■焦点は、道具ではなくタスクに当てるということ?(■目標を設定したらそれを動機づけることも必要)
「直接関与」が大事。
「道具、人、タスクが継ぎ目なく一体になるのである」
教育現場の問題点
学校の授業のスタイルでは、誰だって生徒を集中させられない
1時間の授業「人間は一つのタスクを長い時間続けるのが苦手」
★そうなのか? 一つのタスクを長い時間続けることより、むしろ細かく切り替えることのほうが難しく課題に感じてしまう。
学習は一人でしなくてもいい。外部からの助けをもらう。
075「ただ何かをやるというだけでは学習することにはつながらない」
良いプレーヤーになるためには?
集中が必要(体験モードの本質)
自分のパフォーマンスの内省が必要
コーチが必要
フィードバックとガイダンスを適切に与え、プレーヤーの代わりに内省もしてくれる
さらに「蓄積、調整、再構造化の配合の仕方を知っていてそれに応じた練習を指示できる」
教育に必要なこととは?
ゲームに学ぶこと。
076「この活動は本当の意味での学習/指導/トレーニング活動、簡単に言えば教育になるのである」
ゲームの仮想世界。
人を駆り立て、絶えず刺激と新しいチャレンジを提供。
次々に与えられる知覚情報によって、集中が維持される。
システマティックな探索とトレーニング。仮説検証。知識の蓄積。結果の比較。
互いに教え合い、方法やヒントを交換。攻略本を読み、研究し、議論し、内省し、問題解決。
こうしたゲームの仮想世界の虜になれば、自分の注意や動機づけが自分自身を管理するようになる。
■?どうやって自ら管理できるようになるのか?ここがまだピンとこない。
ノーマンの主張
インフォーマルなゲームが要求する行動は、フォーマルな学校がやらせたい勉強とまったく同じことだ。
うまくやれば、マルチメディアは最適なフローの持続を損なわずに体験的体験・内省的体験の両方を提供できる。
教師と、ゲーム製作者それぞれの最善を組み合わせよう。
最良の展示は、教科書の現象を試せるインタラクティブで探索的な「実験室」である。
■050 良い博物館の「見学者が能動的」は、この「実験室」が提供できているということかな。
学習に必要なもののまとめ(2章の主張)
050 学ぶ対象(■表面的ではないもの)を選べるように提案。
技術の裏側や、ブラックボックスの中身、法則・構造・理論・概念など。
やりがいのある(■目標のある)体験の提供。
動機づけ、豊富なインタラクション、フィードバック、適度なチャレンジの感覚、直接関与の感覚。
体験認知と内省認知を両方使わざるを得ないような体験(■ゲームのような)。
仕事やタスクに集中できる環境。
主観的体験の妨害がなく、注意の分断がない環境。内省できる静かな環境。
外部から支援する道具。
外部記憶装置のノートや紙に書く事、記憶術、反復、練習、探求、比較、まとめ、これらを可能にするアーティファクト。
それらが行なえる実験室をつくること。
支援者(デモ、コーチ、教師)。
フィードバックとガイダンスを与える。練習を指示。知識の発見をアシスト。再構造化をガイド。
082 そのなかでもゲームから学べること(学校にないもの)は、
グループや共同での活動
学習者の立場にたった目標と動機づけ
おもしろさ
フロー体験
自分のペース
テーマや時間、場所を選べる
生涯を通じて行なう