差別用語はそれを用いること自体が差別
道端で、中国人ではないのに「ニーハオ」って言われて「それ差別だよ!」と返すショート動画を見たことがある
ニーハオって言われるだけで差別的だと感じるか?
アジア人は全員一緒だと一括りにされているのがムカつくのか?
僕達がヨーロッパ系の人に適当に「ボンジュール」と挨拶したとして、相手はムカつくのか?
まあ…ムカつくか?
でも「差別だ」まではいきませんよね
単に失礼なやつだと憤慨するぐらいでしょう
普通相手が何人かわからない状態で適当に選択した言語で話しかけないでしょといわれたら、そう
なのでこの「ニーハオ」には馬鹿にするニュアンスが込められていると言える気はする
それともその人は、「中国人なんか」といっしょにされるのがムカついたのか?
もしそうだとしたら、それこそ差別ですよね
「私は○○人であって□□人ではない、区別してほしい」って主張すること自体は正当じゃないですか
他人のナショナルアイデンティティを尊重しないことが狭義の差別にはあたらないとしても、加害性はどう考えてもある この場合は日本と中華人民共和国だけど、例えばウクライナ人を指しながら「あの人はロシア人」とか言うのは? 歴史的背景を鑑みれば東アジア・東南アジア諸国人に「konnichiwa」と挨拶する方がよりアウトな場合もあるだろうし
仮に「言葉の加害性は観測者(言われた側)の経験に基づく」として、結局何が言えるんだろうか その考え方にしたがって具体的にどういう行動を取るのか
「自分が不快に感じる、差別されたと感じる言葉を言われたけど、それを不快に感じるのは自分の経験・認識に基づくものだから相手は悪くない、黙っていよう」みたいな結論になると思います
それは普通に抑圧でカスだ
誰しも自分が傷つくワードってあり、仮にそのワードの対象にはなるけど全然傷つかない他人がいたとして、その他人に対して「あなたは傷つかないかもしれないけど「これってただの記号」とは言わないでほしいな~」とは思わないすか
それを不快に感じるのは自分の経験・認識に基づくものだしか主張していない
それは完全にそうですね、自分が性急すぎた
なんだろうな 「なんでもかんでも言葉狩りしてしまったら~」的な言説に対する変な義憤が先行しすぎて、似た論調を目にするだけでカっとなって反論している 良くないです
言葉が狭くなっていくと感じるマジョリティの反感、本来それ自体には罪のない言葉が死ぬのがクソだと思うことと、わずかな機会でも差別された扱いを感じるマイノリティの感情を天秤に測るときの価値観(あとそもそも測っていいのかの是非)の対立に一般化できる気がする
規制派はそもそも天秤に測れないと思っている節があると思います 自分含め
まあ現状これらは言葉狩りにはあっていないのが答えではないですか、と言われたらそうです
これそうですか?
実際になんかの言葉が言葉狩りにあうまでの道のりってだいぶ長そうなイメージがあるし、少なくともあんまり自動的には起こらなそう
当事者が声上げないとずっとそのまま(たまたままだ上がっていないからそのまま)ってことは考えられるし
長期的に見て全然言葉狩りが起こっていないなら安全なのかと問うたらそういう保証はないと思います
例えばkofu.iconは“異性”装/女装/男装って言葉を(誰かが自身の服装表現を指すのではなく)他称で使うことはゴリゴリ狩るべきだと思っています これって今のところ日本語圏では全然類する主張が見当たらなくて(ジェンダー規範が含まれているよね、くらいの指摘はあっても)、逆に英語圏ではいくらかある
この非対称って別に必然ではない
なんならこれは想定がテキストベースに限られていて、対面で話していたら嘲りを含んだ "Japanese" は時には "Jap" よりも差別的になることは想像できる
上の引用箇所丸々転載してしまったけどあんま良くないかな
前から思ってたけど自分知らない他人に突っかかって文句言ってばかりだ! SNSで引用だけポストしてる捨て垢みたい ただまあ 突っかからないまま恥かかないままよりはマシだと思いたいけど
なんならこれリンク化しようかな
自分で掘り起こしてガチで死にたくなってきた