認知的不協和
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お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。
自分こそが手に入れたかったが、到底かなわない対象と判断・諦めた後に、一部の人々はその対象を一転「価値の無いもの」「自分にふさわしくない低級なもの」と無意識に思い込もうとし、それを理由に諦めた原因である己の能力の不足と向き合うことから逃げて、心の平安を得ようとする
フロイトの心理学では、この人々の自己正当化・自己防衛思考を防衛機制および合理化の例とする。また、社会心理学においては、認知的不協和の例とされる。英語には、この寓話を元に生まれた熟語として "sour grapes" があるが、これは「負け惜しみ」を意味する。「負け惜しみを言う」が"cry sour grapes" 、「負け惜しみを言う人」は"sour loser"や"bad loser"と言われている 自分が持っていないものは価値を低くみつもる、負け惜しみ
逆に、自分が所有しているものは価値が高いと感じる
プログラマーは自分が書いたプログラムを自分自信の延長と考えてしまう
それにより、レビュー指摘を嫌がり、怖がり、苛立つ
欠陥を認めにくい
欠陥の原因をコンパイラや外部要因のせいにしがちになる
いくつかの実験で、行動を正当化・合理化するための感情のすり替えが行われることが観測できている
ボランティアで助けたから愛情が湧いたり
めちゃくちゃ安い報酬でやらされた仕事は、高額な報酬でやらされる仕事よりもやりがいを多く感じる