無神論者であるということは神に固執している
闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF 252) p188 より引用
無神論者であるということは神に固執しているということなり。神の存在も非存在も立証の場ではほとんど同じことである。ゆえに立証という言葉はハンダラ教徒のあいだではほとんど用いられぬ。従って彼らは神を立証とか所信とかにかかわる一つの事実としては扱わぬことにしたのである。かくして彼らは悪循環を破り自由に進む。
「無神論者であるということは神に固執している」という逆説
神の存在も非存在も立証はできないのだからどっちでもよく、悪循環を破り自由に進む
存在も非存在も立証できないことに対して、どちらかに固執することは同じようなもの
どっちでもいいとして処理して、自由に進めばいい
ビュリダンのロバから抜け出す
どっちでもいいことに拘っている時に、要はバランスと片付けることは、一つの悪循環を破って自由に進むことかもしれない