無神論者であるということは神に固執している
無神論者であるということは神に固執しているということなり。神の存在も非存在も立証の場ではほとんど同じことである。ゆえに立証という言葉はハンダラ教徒のあいだではほとんど用いられぬ。従って彼らは神を立証とか所信とかにかかわる一つの事実としては扱わぬことにしたのである。かくして彼らは悪循環を破り自由に進む。
神の存在も非存在も立証はできないのだからどっちでもよく、悪循環を破り自由に進む
存在も非存在も立証できないことに対して、どちらかに固執することは同じようなもの
どっちでもいいとして処理して、自由に進めばいい
どっちでもいいことに拘っている時に、要はバランスと片付けることは、一つの悪循環を破って自由に進むことかもしれない