安易に名前付けをすると、「小さいこと」になってしまう
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微小術師
たとえば「洗濯物干し」とかもそうです。自分に割り当てられたことが「小さいこと」に思えるのは、名前がついているからです。名前が評価に直結してしまうんです。「洗濯物干し」という名前がついたら、その行為はおそらく「やる価値のない洗濯物干し」でしかなくなってしまう。その瞬間に「小さいこと」になってしまっている。「保育園の送り迎え」も同じです。名前が評価に結びついてしまっているんです。
Shougo Sasaki,Tak. Sasakisan jibun no jikan ga naindesu (Japanese Edition) (Kindle の位置No.544-548). Kindle 版.
佐々木 もっと言うと、そういう瞬間は二度とはやってこないものです。だから本当は名前がないんですよ。「なんとかの時間」じゃないんです。もっと、そのときだけのことを拡大して体験していけば「名前をつけようがない」というところに行き着くと思うんですよ。
Tak. それは子どもを車の助手席に乗せて運転して保育園への道の間に会話をしてこんな会話があって二人で笑った時間……。
Shougo Sasaki,Tak. Sasakisan jibun no jikan ga naindesu (Japanese Edition) (Kindle の位置No.556-560). Kindle 版.
同じ行為に名前をつけて抽象化することが、現在の世界では「良いこと」ととらえがち
同じ行為でも全く同じではない
全く同じ1日を送ることはできない
「ゴミ捨て」という行為の中にも、人それぞれ、時期それぞれ、良いこともあれば悪いこともある