二人目の踊り手を待つ
https://www.youtube.com/watch?v=V74AxCqOTvg&feature=emb_title
長いこと意識してきたことの元ネタを探したら見つかったので書いているkeroxp.icon2019/11/13
とりあえず字幕付きで上の動画をみてください
要約
一人の上裸の男が広場で変な踊りを踊りまくっていた。特に理由なくただ踊っているだけなので群衆は見向きもしない。
そこにもう一人の男が乱入してきた。踊り手は二人になった。
さらにもう一人の男が乱入してきた。踊り手は三人になり、群衆は彼らに注目を始めた。
それからしばらくして徐々に乱入する人が増えていき、最後には広場のほとんどの人が踊りだした。
最後の方になると我先にと駆け足で踊りに参加する人もいたとさ。
俺はこう思ってたっす
このトークは「社会運動の起こし方」という題目で発表されているが、マーケティング理論でよくあるキャズム理論とも似た寓話である。 要するに最初から爆発的に流行るものなどなく、徐々に流行り始め最終的に坂を転がるように広まっていくということだ。
ここで大事なのは話者の人も言っているように、
「最初の一人が(後に)過大評価されている」
「二人目、三人目の踊り手も一人目と同じくらい価値がある」
ということである
二人目の踊り手が現れなければ一人目はいずれ踊ることを止めてしまっただろう
だが二人目、三人目と踊る人が出てきたことで最終的に一人目が踊ることを止めても踊りがなくなることはない
Movementを起こすという観点からすれば、一人目や二人目はエンジンのスターターであり、エンジンが起動した後はその役割を終える。だがスターターがなければエンジンは起動しない
群衆の考えは常に不定であり、そこには何かしらの安定性、ゲーム理論的な力学が働いている
「他の人に比べて」損をしたくない、悪目立ちしたくないという人がほとんどである
なぜなら流行っていない時点で価値が低く、興味を持つ意味が少ないと考えるからだ
なので矛盾のようだが物事は流行っていないと流行らない
もし自分がなにかのMovementを起こそうとしているなら、まずは踊り続けないといけない
それなりの時間を一人で過ごし、人の目を気にせずに踊り続けなければいけない
いい反応も悪い反応も無反応も無視し、とにかく踊り続けなければいけない
そしていつか二人目の踊り手がやってくるのをじっと待つ
僕自身こういうことを経験したことがある
Scrapboxは2015年にNotaからリリースされたソフトウェアだが、その前進であるGyazzの論文が発表されたのはなんと2006年である 僕が増井研究室に入ったのは2012年で、その頃にはすでに研究室のGyazzに数千ページの文章がScrapboxと同じ仕組みで存在した
増井研究室に入った新人はまず必ず自分の名前のページを作ってそこに自己紹介を書くのだが、なぜかそれができない人がたくさんいて、それがふるいのように働き、最終的にはGyazzのヘビーユーザーだけが生き残っていくという現象があった
そんな研究室のGyazzも開発者である増井先生と現Scrapbox開発者の/shokaiさんの二人がとにかくめちゃくちゃ記事を書きまくり、「Ruby入門」のような記事から「福井」や「磯自慢(酒)」のような旅行記やグルメ情報みたいなページも沢山作られていった それまでPukiWikiやらWordPressやらの「編集ボタンを押してコミット」的世界観で生きていた新人にとってGyazzの存在は衝撃であり、その使い方には違和感を覚えたのは事実だった
だがそこに熱狂的な踊りてが二人いたおかげでとりあえず見様見真似で自分も踊り始め、やがて守破離のように僕自身も僕自身の踊り方を身に着けていった
増井研究室を卒業する学生は皆一様にその踊りを身に着ける
GyazzはそのデータをScrapboxに移行し今も使われているが、10年近くに及ぶ幾人もの踊りの結果、現在はこんなにページ数になった
https://gyazo.com/f75b6777028f8eee51a2caef3cdcb090
僕が働いているロイロでも、僕が抜けてから再び入社するまでの間にScrapboxが導入されていたのだが、2017/9当時、導入して10ヶ月以上立つにも関わらずページは30ほどしかなかった そこで僕が開発のことやグルメ情報などとにかくなんでもScrapboxにまとめ、アイコン記法やリンクをどんどん作り続けていったらいつの間にか皆その使い方が分かってきて踊り始めた
これには僕という一人目の踊り手があり、僕が入れた増井研究室の後輩のバイトたちや社長がその二人目になってくれたおかげで他のメンバーの人達も踊り方が分かりMovementになった
今では毎日多くのメンバーが開発からPR、サポートに至るまで記事を書いている
僕が踊り始めてから2年以上が経つが、30ページしかなかったScrapboxは今は3400ページくらいになった
ロイロの社員は30数人でScrapboxを書いているのはその半分程度なので一人あたり200ページくらい書いているんじゃないかという気がする。そう考えると結構凄いよね。
ロイロにはそれまでこういう社内Wiki的な物はなく時期によって共有DriveやGoogle Docsで文章を管理していたけどまー意味ないという感じだった。見つからないし、繋がらないし、更新されないし。
この3400ページの知見は今まで一体どこに消えていたんだ?
Scrapboxの本質は思考をそのまま文章化するということで、思考の仕方が人によって異なるのでその踊り方は千差万別である
が、踊り方がわからない人の前で踊り方を教えるのは意味がなく、ただ目の前で踊っているだけでいい
なぜなら誰しも自分の踊りというものが体の中に在り、それを見つけたときに勝手に踊りだしてしまうからである
僕の経験上踊っていない人に以下のようなことを言っても無駄である
「さぁ一緒に踊ろうよ!楽しいよ!」
「踊りというのは実は健康にとてもいいんですよ」
「歴史的な成功者は皆プライベートで踊っていたという逸話があって……」
「一週間のうち最低5時間は踊って一つオリジナルの振り付けを考えてきてください」
「大人数で踊れるダンスホールを作りました」
言葉で人を動かすのは本質的に無理なことなので、まずは踊り始めるしかないんじゃないですかね
この間弁護士になった友達と話していて興味深い話が聞けた
レベルの高い大学の法科大学院に行ったら、みんな当たり前のように勉強していたので、自分も同じようにしていたら当たり前のように司法試験に受かった。落ちるほうが難しかった。
僕もプログラミングができて当たり前みたいな研究室にいたからプログラミングが出来るようになったのは間違いないので、そういうことはたくさんあるんじゃないのかなぁ
あとがき
もしこの動画自体が単なるフラッシュモブだったとしたら台無しだよな