世阿弥
世阿弥という存在が、その芸論と実践をストイックに先鋭化させていった結果、その当時の大衆にも政権にも受け入れられない存在となっていき、孤立を深めた結果、配流されるほどに至るという流れを説得的に述べている。それで思い出すのは千利休である。同じように美を先鋭化させた結果、自刃に追い込まれた。この二人は、「中世のモダニスト」と呼ぶべき存在なのではないかと思う。 一方で、ではなぜそんな世阿弥の開いた、とっつきにくい能の形式が、その後能の本丸として受け入れられるようになったのかについては、説明がない。今後の課題か。
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