2025年1月6日
仕事始めの日。リトルKを保育園に送って、出社。機会ではあるので、今年はこういうことをしなければなどということをあれこれと考える。
午後は、グループ全体の新年会からの、会社での新年会。グループ代表の語る年頭方針を聞いていて、あらためて自分の器の至らなさを思ったりするのだが、そもそも充分な器があって事がなるわけではなく、事をなすからこそ器ができるわけで、何もしてないのに器量に問題を帰責するのは、何もしてないことに向き合わないごまかしだろうとも思う。ただ、何をどうしたら事がなるのかというのもまたわからないことではある。
そんなわけで、というか、立つ瀬のなさもありビールをかぷかぷ飲んでけっこう酔ってしまいそうだったので、途中からお茶に切り替えてあれこれおしゃべり。
藤野眞功さんという方が書かれた文書を読んで驚く。『甘美な人生』に収められている「批評私観」に書かれている禅僧の話は印象的で、しかし当時それが白隠であるはずなのに、調べてもその文章で言われているような事績が見当たらない。どういうことかと訝りつつも恐ろしい印象は残っていた。また、ジャック・ピュイゼの話も記憶に残っているが、白隠にせよピュイゼにせよ、あの文章は記憶違いなどではあり得ない「創作」という他ないものだったらしいのである。
古典ギリシャ語、フランス語のルーティン。英語の音読ルーティンも追加した。
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