2024年10月26日
朝から大学院のゼミ.昨日までに書いた博論について報告して,概ねこの方向でいいのではということになった.1点,最後に全体のまとめをする中で,3つの課題と提案についてそれらがどのようにちゃんと解決できて何が良かったのかを記述するべしとのレビューをいただく.その通りだと思われたので,取り組むことにする.それと全体のブラッシュアップをしながら,スライドに移っていく.スライドの方は作業も多いので,並行してちょこちょこ進められるようにしよう.
妻子が出かけていたので,渡邉雅子『論理的思考とは何か』の続きを読む.途中で帰ってきたので,子を昼寝させてそのまま横でさらに読んで読了. 理念形としての「論理的思考」の4分類はよくわかるのだが,そんなに簡単に使い分けられるようなことではないのではないかと思う.それこそ,それぞれの「論理」に習熟するための教育を4回受けなければならないぐらいの大変さだろうと思う.ある程度思考の訓練ができていて教養がある者ならば,心掛けプラスアルファぐらいのことかもしれないが,実践的な意義としては心許ないようにも思える.それよりは,そういう違いがあるよね,というのをまずは認識しましょうぐらいの話だと思えば,それはそれで意義があることではあろう.
体がガチガチになっているのでストレッチをしていたら,子が起きてきたので一緒に遊ぶ.XGやaespaの曲がかかると踊り出したので,一緒に体を動かす.1曲分腕をふりまわしたりすると,けっこう体がほぐれるものである.おもちゃの車があれこれとあるのだが,大きめの車を手を前方に押し出すことで真っ直ぐに走らせられるようになっていた.先日までは方向も定まらなかったのだが.
散歩に出かける.リトルKを初めていく公園で遊ばせ始めたら,蚊がうようよいるので早々に退散.街歩きに切り替えた.リトルKは,今日は3回目の外出で,朝も1時間ほど歩いていたのに,全然疲れる様子を見せない.外で歩いていて疲れて抱っこをせがむということがなく,着実な歩調で延々歩いていく.もう一つの公園に行ってみたが,そちらは5〜6歳ぐらいの子供たちが走り回ってけっこう危ない.それでも果敢に遊具に挑むのだが,身体能力が足りない.もうちょっと大きくならないと難しそうである.
注文してあったマッサージ棒が届いていた.ワセリンをつけた上で,首筋をぐりぐりしてみると,いままでそこらにあったもので代用してたのよりも刺激が強い.いつも頭痛の元になっている部分の凝りを集中的にやってみたら,だいぶほぐれたように思えた.1年以上通っていた整体にいかなくなって2ヶ月ほど経つが,シリコンボールなどで十分,というか,そっちをちゃんとやる方が効果があると思える.もちろん,どういうところが悪いのかという身体感覚を整体では得られたので無駄ではなかったのだが.それがわかってくると,マッサージのために毎週高いお金を払う気もなくなってしまった.これでよりいい感じになりそう. 「ゲンロン17」を読み始める.まずは東浩紀氏による「平和について、」という論考.旧ユーゴスラビア共和国の現在に至るまでの歴史について調べてみようと思いつつできていなかったので,まずは概要を知れたのがよかった.また,ボスニア・ヘルツェゴヴィナの現状や,紛争解決の道筋の中で各民族がそれぞれの国や地域にかなりの程度分割されたこと,第二次世界大戦の戦後処理においても旧ナチスドイツ領やポーランドで同様の移民が行われたことなど,まったく知らなかったことも多かった.そもそもあの紛争について,自分は同時期に高校生,大学生だったにも関わらず,ほとんど記憶にない.関心がなかったのだろう.そのこと自体もひっかかりとして残っていたという事情もあった. ----