2022年11月17日
葬儀のため、護国寺へ。残された奥様のお話に、身につまされる思いをした。
数名で相乗りしてタクシーで渋谷へ戻ろうとしたのだが、明治通りの方へ行ってくださいというのに、反対側へ行く。どういうルートで行こうとしているのかと問うと、九段下から日比谷へ行くという。「日比谷ではなく渋谷ですよ」といっても、反応がない。自分の滑舌が悪いせいかと思って「し・ぶ・や」とはっきり発語したのだが、同様に反応がない。一緒に乗っていた人が「とりあえずカーナビ使ってください」といって行き先の登録をしてもらうよう説き、解決した。
渋谷へ行くという目的を達成するためには、とりあえずナビを使ってもらえばいいというのが正解で、最初からそうするべきだったのである。しかし、相手が自分の想定外の言動をとった時に、自分はその状況を理解しようと考え込んでしまい、ストレートに解決しようと思考してしまう(この場合だと道順を示す)傾向があると気づいた。仕事の場合だとそういうことは全然なくて、むしろ真っ先にカーナビの話を持ち出すだろう。プライベートの状況では違うようだ。
チェックインの時に「プラスチックを減らそう」といった内容のパンフレットを提示しながら「ご存じですか?」といわれ、もちろんプラスチックについて社会問題とされていることについては知っているが、この文脈でそんなことをたずねているわけがないので、何についての話なのかまったくわからず、フリーズしてしまった。すると、部屋にはアメニティを置いていないのでフロントから持って行くようにという。それでいわんとしていることのつながりがわかったのだが、ちょっとどうかしてるんじゃないかと思う。
この時は、すぐに「よくわからないです。どういうことですか?」と訊けばよかったのである。この件についても、仕事の文脈ならそうできるだろうと思う。
一つには、頭の回転が鈍っているのではないかという心配がある。もう一つには、問題に対して内在的に理解・解決を図ろうとするのは悪いことばかりでもないとは思うが、スタックしてしまうとしかたがないので、適切な行動を取れるようにしなければならなかろうと思った。ただ、内在的に理解しようと図るのも、結局は他者とのやりとりによってしか知り得ないことについて無駄に思考を巡らせているだけということでもあるのかもしれないとも思う。
そんなことを考えながら、渋谷についた後は、マネージャーが集まっての1日合宿。夜は懇親会。
帰宅して、silentの第7話を観る。菜々(夏帆)がかわいそう過ぎて観てられない!想くん酷い!と思って観ていたのだが、菜々が立ち直ってきたのでよかった。それはそれとして、奈々を演じる夏帆さんの演技は素晴らしいが、奈々に声によるコミュニケーションへの憧れを執拗に語らせる脚本には違和感を覚える。そういうことはありうるだろうけど、ひとたびドラマになってしまうと、結局はそれが至上であるという偏見を強化する結果につながるのではないか。
---
今日のブックマーク
---