学習を記録するとはどういうことか
#思索の屑 #理解を促すScrapbox運営
「知らない・わからない→知ってる・わかってる」の過程を記録することで、「知らない・わからない」状態になったとしても、「知っている・わかっている」に復帰できる機能が、学習記録の本質的な意義だと思う.
わからないとは?知らないとは?
わかっている=自分の"理解"でその対象に対して説明できる状態
→わからない=他者の理解で書ける,自分の理解では書けない
知っている=情報を持っている・経験がある状態
→知らない=情報を持っていない・経験していない
言い換えると:
「知識」=記憶された情報
「理解」=情報同士の意味づけされたつながり
◯「わかっている」は「知っている」を内含している
なにを知らないか?なにがわからないか?
なにがわからないか?の答えを見つけるのは簡単.
「対象の意味や背景,原理,他との関係」を書いてみればいい.
それについて書けるかどうかがわかっている/わかっていないを明確に分ける境界になる
なにを知らないか?
「そのもの」について書いてみればいい.
知らないことを知らない問題について
これは全くの白紙状態.知らないことを知らない状態を避けるために、あらゆるインプットを行う必要がある.
「りんごを知っているか?」→「果物,赤い,甘い,丸い,水分がおおい,シャキシャキ」など
「りんごをわかっているか?」→「国内の収穫量では青森が1番,フルクトースは冷やすと甘くなる,コンポートの調理法,酢酸エチルを放つので近くの他の果物も熟させる」など
さらには、
「りんごの産地を知っているか?」→「青森,長野,岩手,中国,チリ」など
「りんごの産地をわかっているか?」→「冷涼で乾燥,昼夜の寒暖差が大きい地域.日中に作られた糖分の消費が夜間に抑えられるため,降水量が少ないと病気・害虫にやられにくい.」など
この問答は永遠と繰り返される.「知識」と「理解」は表裏一体である.
・「わかっている」というのもほぼほぼ知識と言えるな...
・「理解」=「より高度な結びつきを有する知識」として定義できないだろうか?
理想的な学習記録はどんなものか?
学習記録:「目的:「知らない・わからない」状態から「知っている・わかっている」に復帰する」ツール.
根本的には「理解」も「知識」であるので、知識を定着させるような学習記録が理想的だと思う.
限りなく論理の飛躍を起こさないこと(これこそが知的ネットワーク形成の最重要項目なのでは)
甘い→フルクトースが含まれる→冷やすと甘い
甘い→フルクトースが含まれる→日中に作られて夜間に消費されるので...→寒暖差が大きい地域→
どうしたらこれを想起できるか?という視点が重要
意図的な反復によって定着させるタイプの記憶術について
↑これいつのまにか反復することが目的になりやすく、有機的なネットワークは形成されにくい.特定の試験に対する対策なら効果的かと思うが.知的ネットワークを広げるという目的においては、点と点のつながりを貪欲に探索する方が良いだろう.
学習の深さ
1. 表面認識:見たことがある
2. 構造理解:
3. 実務能力:
4. 原理把握:
アウトプットフォーマット
「対象自体」について
知っているかの確認
「対象の意味や背景,原理,他との関係」について
理解しているかの確認
それが示す意味:
それの背景:
それの原理:
他との関係:
#アウトプット