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谷家幸子
なおすけ肯定派か。
結局、なおすけ派の根源は、
その時点で加害をしない限りは空間に存在するのを許容するということを我慢ならない(つまりはリスク可能性というものを全く許容できない)事前検閲主義、ということなんだろう。それで自身らが影響を被るとは思っていない。
それゆえに、「リアルライフテスト」など、ゲートキーピング(審査とジャッジ)をすべき、ということになり、事前思想審査・経歴審査なども辞さない、となる。(全員平等にそれらをしても問題だが、もっと悪いことには、シス女性(に見える人)はしばしば免除される。)
彼らの「表面的」怒りは、自身のトランスゲートキーピング的思想を正当化するために「百田みたいな揶揄的カミングアウトさえも認めるのか!」と、良い材料として持ち出しているに過ぎない。李もまさに「これなら同意するだろう」という例として挙げている。これは議論相手との共通点を見つけ出して擦り合わせるため、と言えば聞こえはいいが、都合よく材料をピッキングアウトして説得(正当化)しようとしている、とも見れる。
なおすけらは、ゲートキーピングをしないことによるトランス当事者への脅威(それからの保護)やそれゆえの自身の怒りを強調するが、百田尚樹みたいな差別者を(誤った論理で)強い拒絶をすれば、トランス当事者を守っているように見える、というパフォーマンス・自己満足にすぎないと思う。
とここまで書いておいて思ったが、実はなおすけらは背後(根源)に思想信念があってやっているのではなく、単に以前から嫌いな人らが李らと対立し、攻撃できそうだからいっちょかみして言及しているだけで、ビアンにもトランスにも興味ないのではないか、と思えてきた。(典型的なトランス差別しているシス女性らと異なり、ゼロリスク的願望もないのでは。)
百田尚樹の「俺も女子大入るわ」みたいな言動にある揶揄の機能や目的を指摘することと、「百田尚樹が絶対にトランス女性ではありえないのだ」と(根拠のない)断定をしないこと(断定することを躊躇・批判・問題視すること)は両立する。
この百田発言直後の当時、こういう両立したスタンスで発言していた人はいっぱいいたと思うのだが、今あまり見えないのは、そういう層がSNS辞めちゃったからかな。(アカデミック・フェミや周縁クィアの層)
トランスジェンダーの性は「言ってるだけ」ではない、という指摘と、ゲートキーピングのために「言う」以上のことを求めることによって一部のトランス当事者が不利益を被る問題性・排除性の指摘とは、両立する。
2024/12/18、谷家がけむしをブロック。
同時間くらいに鯨庭@kujiraba.bsky.socialがけむしをブロック。谷家フォロワーだろう。