toki pona における能動と受動の区別問題
pona は「良い」という意味だが「直す」という能動的な意味も兼ねる
jan pona:「人」←「良い」=「良い人」≒「友人」
jan li pona:「人」は「良い」
jan li pona e ijo:「人」は「良くする」→「物」=「人が物を直す」
jan pi pona ijo:「人」←(「良い」←「物」)=「人」←(「物を良くする」)=「直す人」=「修理人」
ijo pona:「良い物」とも取れるし「直った物」とも取れる
「直った物」は「良い状態」なのだから、意味的に近く、同じ語で示されるのは toki pona 的に妥当 こうして見ると区別しなくても成立しているように見える
非公式単語に見る混乱
toki pona には非公式ながらよく使われ、新版の公式辞書にも参考として載せられた語がある そんな非公式語の1つが oko:目
元々は「見る」という意味の lukin と同義だっため無くなる予定の単語だった
現在では意味を分けて再導入された
ただ、lukin を名詞っぽく扱うと「視界」や「見通し」という意味にもなるので混乱を招いた
多義的だから混乱するわけではない
例えば tomo は「部屋」であり「家」であり「建物」であり「都市」である
この違いは混乱をもたらさない
「部屋」が集まれば「家」になり、大きければ「建物」になる
「家」や「建物」が集まると「都市」である
意味の方向性が同じなので混乱しない
「視界」と「目」は方向が逆
「視界」は「見られる側」である
「目」は「見る側」である
lupa lukin:「穴」←「見る」
「穴」←「視界」とすれば「窓」と読み取れる
「穴」←「目」とすれば「眼孔」かもしれない
実際に「眼孔」を示したい状況は限られるので文脈で区別は可能
しかし、意味は似ていないように見える
lukin と oko は方向性が逆だったために区別を必要としたのではないか
ちなみに「耳」と「聞く」を意味する単語と「音」を意味する単語は別である
前置詞に見る混乱
例えば lon は「存在」「真実」等を意味する
そこから転じて「~にいる」という動詞になり、「~で」という前置詞にもなる
jan li lape lon tomo :「人」は「寝る」←(~で)←「家」=「人は家で寝る」
しかし、前置詞ではなく普通に形容詞として「現実的な」のような意味で使うことも出来る
sitelen lon:「絵」←「現実的」=「写真」
ではこれは?
sitelen lon tomo
前置詞として見ると「絵」←(~で)←「家」=「家にある絵」
形容詞として見ると(「絵」←「現実的」)←「家」=「家の写真」
前置詞のせいで暗黙の結合規則の変化が発生している
この混乱が発生しない語もある
kepeken は「使う」という意味で、ilo は「道具」という意味
kepeken は「~を用いて」という意味の前置詞としても使える
~ li moku kepeken palisa tu:「食べる」←(~を用いて)←(「棒」←「2」)=「箸で食べる」
ilo という語が「道具」という意味を担っているお陰で、kepeken を形容詞や副詞として解釈する場面がほぼ無い
この混乱の元凶も「方向性」ではないか?
kepeken「使う」は能動であり、ilo「道具」は受動である
一方の lon は「いる」という能動的な意味と、「現実」「真実」と言った能動ではない意味を兼ねている
「能動」「受動」という区別は曖昧な感じがある
「より修飾されたがる単語」と「より修飾したがる単語」の区別があると良いのか?
実際文法上「名詞」と「動詞」を品詞として区別しない言語はほとんど無いと言う
区別を曖昧にすることは出来ても「名詞的な何か」と「動詞的な何か」は世界の多くの言語で何となくの区別がある気がする
しかし、ここに手を入れるにしてもちょっとしたことで簡単に複雑 (ike) な言語になりかねないので慎重に