愛するということ
The Art of Loving - Erich Fromm
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メモ
「愛する」ということは技術である
非常に納得感のある主張だった
自身の経験を振り返り、対人関係や物事がうまくいくときはそこに「愛する」という技術が介在していた。
愛するという技術は自身の全体性(一貫性?)と個別性を保ったまま他者と結合することである
みたいな説明がされている
「消費者感覚」という言葉で揶揄される現代人の感覚は
この「愛するという技術」を失っていることに対する批判だろう。
いろいろあって底を打っているであろうときに読んでいる
愛するという技術をおれは忘れていたから周囲の人間は不幸になっていったのだなと思った。
過去の自分は愛するという技術を持ち合わせていなかった
愛するという技術は、その対象ごとに微妙に異なる仕様があるはずだが、基本原理・構造は同じ
友愛
すべてはこの友愛から始まる
母性愛・父性愛
家族という集団における愛の形
恋愛
1人の対等な人間に対してしか向けることができないらしいhiragi.icon
恋愛というものはそもそも、最近世界に広がったものであることに留意する必要があるhiragi.icon
友愛と恋愛に結びつきやすい「性愛」というのもある
過去の自分はこれらの愛を混同していた
愛するというのは、プラスサムゲームを自分の周りに作り出すことである
対象を問わない
生産的な行為である
愛を交換する、商品を交換しない
自分の中に息づいているものを与える行為である
与えることができるのは、自身の持てる力と豊かさを実感できるからであり、最も高度な自己表現である
それが喜ばしいのは「剥ぎ取られているのではなく、自分の生命力の表現だからである、
宗教という概念は、今日的に最もよく愛について説明をしうる
人類の進化は母親中心的な社会構造から父親中心的な社会構造に移行した
具体的にはどの時代のどの文明を指しているのだろうか?hiragi.icon
宗教もまた、その社会構造の変化に応じて同じ道を辿った
したがって、近代の愛の成熟過程は父権的宗教の発達の中に位置づけることができる
横暴な部族長
愛する父親
自分の決めた規律に縛られる父親
「私を救い、見守り、罰する父親がいるはずだ」という幼児的な愛の段階
正義
真理
偶像崇拝を行うと、神は統一原理の象徴たり得ないhiragi.icon 神を「人」や「モノ」として扱ってしまう
「私は『私ある』という者だ」
(出エジプト記/3.13-14)
肯定的な属性を与えてはならないものとして神学を発展させるためにとらえられたhiragi.icon
私が一人の人間である限り、神は私でもある
一神教思想の本質に従う場合
何かを願って祈ることはない
神に対していっさい何も求めない
神を"愛する"ということもない
自分の限界を知るだけの謙虚さを身につける必要がある
自分が神について何も知らないことを承知している必要がある
「神を愛する」(フロイト)とは
最大限の愛する能力を獲得したいと願うこと
神が象徴するものを実現したいと望むこと
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一神教思想の論理的帰結点は「あらゆる神についての知の否定」である
非神学思想
一神教思想(特にキリスト教)
精神世界は実在し、その中に愛や真理や正義も実在すると仮定する
初期仏教
道教
精神世界は実在せず、自身の「内部」で愛や理性や正義を実在させる
自分で「実現させる」=他人を助けない限り、これらは実在しないとされる
東洋と西洋の宗教的態度の基本形
東洋(中国・インド)
Aと非AとはXの属性として互いに排除し合わない
「・・・であり、・・・でない」
道教・ヘラクレイトス、ヘーゲルの弁証法
「・・・はこれでもなく、・・・はあれでもない」
インド哲学
西洋
Aではないと同時に非Aでもないということはありえない(排中律) hr.icon
3章_近代西洋社会における愛とその崩壊
近代西洋社会=資本主義社会
政治的自由の原理+市場原理
「市場」とはそもそも何かを原理に従って規制するもの
あらゆる経済関係の規制
転じて、社会関係の規制
商品市場
商品の交換条件を決定する
労働市場
労働力の売買を規制する
その社会における愛
幼児的な愛
耐え難い孤独からの避難所としての「結婚」
2倍になった利己主義
偶像崇拝的な愛
個人主義とか呼ばれる
神をビジネスパートナーに、と思っていた節が自分にもあったhiragi.icon
「待つ」ために「祈る」という動作を暗黙的に「ビジネス上の成功のために」と付け加えていたhiragi.icon
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愛の習練
一人でいられること
集中すること