[エッセイ]牛がいた頃(岡山牛窓編)
2023年7月22日(土)9時12分
岡山県の牛窓に行く。本当は季節である早朝のレンコン畑の花を見に行こうかと倉敷の連島へ行こうかと思っていたけれど、ドミトリーでフィンランドから来た人と話し込んでいたら電車を1分乗り過ごし、昨日夕方にレンコン畑をちょっとだけ見たこともあり、気になっていた牛窓行きの電車に乗った。 電車で岡山駅から出発して邑久駅へ、そこからバスで牛窓へ行く間、行きも帰りも、青々と、延々と、ため息が出るくらいに広がる田んぼの景色。トラクターは岡山で開発されて誕生した話を聞き、さすが農耕地帯の岡山の土地だと感慨深く思う。 牛窓の名前には牛が付いている。牛窓の命名についてはいくつかあり、最も知られているのは、神功皇后という実在していれば4世紀にいた天皇の伝説の話で、塵輪鬼という頭が八つある大牛の怪物に襲われたので弓で倒し、また再び神功皇后の船が岡山付近を通過するときに、成仏できなかった塵輪鬼が大きな牛になって出てきて、船を転覆させようとしたので、航海安全の住吉の明神がおじいさんの姿になって現れ、牛の角を持って投げ倒して、牛が転んだところを「牛轉(うしまろひ)」と呼ぶようになり、ウシマロビが鈍って「牛窓」になったという。大きな牛が転んだ跡は、瀬戸内海に浮かぶ島になって化けたという。また牛鬼という水辺の妖怪伝説が瀬戸内海には多く残っている。 参考
早朝から開いている美味しい練り物屋さんを見つけ、出来立てを食べ歩きながら散策していると、大通りから外れたところに小屋でスイカや野菜を売っているおじさんがいた。小ぶりのスイカがたくさん列になって並ぶ。列ごとに値段が少しずつ違うので聞いてみたら、新しいスイカと古いスイカや大きさで値段が違うといった、最初は雑談をしていたけれど、そのうちまた農耕牛の話を聞かせてもらう。
<私:この辺耕したりするのに牛使ってましたか>
あー、この辺は牛はな、もうやめたな。一軒二軒あるんかもしれんけど、わからん。基本的にはやめられた。
<私:お父さんところも使ってた?>
機械が入る前は、みんな一軒ずつ農家には牛がおった。今はもうやめてしもた。
<私:昔牛いた時って、牛はどうやって持ってきたん?>
牛はな、市がある。一年か一年半かの間隔で市があって、そこで買うてくる。2、3年飼うて老うくなるでしょ、そしたらまた売る。同じ市で。小さいやつと大きいやつ。農家によっては子牛だけ作る人もあってな。それも持ってくる。
<私:農家が牛を作るの?>
それで一般の人が買うて帰る。ある程度大きくして肉にせんならんし。
<私:じゃあ買うところと売るところは、一緒の場所なんですか?>
一緒一緒。
<私:場所は一緒やけど、買ったり売ったりする人は違うの?肉用の人に売るの?>
そうそう。今もう屠殺用ゆうたら岡山市に屠殺場がある。市がやっとる。民間では屠殺ができんやろう。全農がやっとったり、市か、各市町村か、やっとらん。殺せんが、なかなかね。
最近は農耕牛がのちに肉牛になるという流れであることを、受け入れている自分がいる。
江戸時代までは仏教などで肉食が禁止されていた。それは家畜の肉食ということで、マタギの文化は容認されているので、全く肉食がなかったわけではない。それが明治時代になって西洋から肉食文化が好意的に受け入れられた。その中で、農村での農耕牛の文化と一般的に普及する肉牛の文化が結合する流れになったようだ。
<私:家の間取りで、牛がいたところって、家の中でしたか?外でしたか?>
入り口に牛飼いおる。
<私:それはなんでですか?>
大事にしおったんやそれだけ。家族並みに。私らの小さい時はそうや。一軒一軒飼うてな。それで世話やって。それでし尿処理したって。そやけど臭いんじゃ。夏、ものすごう。ハエがいっぱい飛ぶしな。今やったら違うけど。
<私:後で肉用に持って行くけど、飼ってる時は大事に育てるのですか?>
そうそうそう。家族並みにしおったな、昔は。今は肉は肉用に飼って、牛乳は牛乳用に飼って。
だけど流れは分かりつつも、あとで肉牛になるけれど、家で飼ってる間は家族同然に農耕牛を扱うというのが、まだとても不思議な感じで、つい聞いてしまう。
そやからホルスタインが大体乳牛なんですよ。乳がでんくなったら肉に変えるんですよ。でも美味しない。やっぱり肉用に飼ってるやつは美味しい。そやから神戸牛やとか、三田とか。たぶん飼料も違う。乳牛はそれ用の餌をあげるし、肉牛は肉用の餌をやる。でもそれも全部外国から輸入しよるから。 <私:ここで牛を飼ってた時は、餌は藁とかですか?>
そう藁とか。それから小麦作ってたからな、小麦与えたりしおった。
<私:それは小麦粉ってこと?>
小麦粉ではなしに、サーっと潰すんですよ。麦を。それとかスイカの悪いやつをやったりとか。
<私:お父さん何歳ですか?>
丁度。80(昭和18年1943年生まれ)。
<私:牛はいつ頃までいましたか。>
私が小学校自分までだったね。そやから60年、70年くらい前か。あとはみんな農機具。
男性は自分は牛については素人なので、蒜山に行ったら牛もいっぱい飼っているし、農業大学もあるし、歴史の本もあるので、そこで確実な話を聞いたらいい、と教えてくれる。
それと、レンコン畑の話なんかする。男性は藤田というところでレンコン畑を見たことがあるそうだ。 それから、カゴにたくさん入った獲れたての真っ赤なトマトを三つもらう。一個だけとったら、三つ持って行きなさいと行って、残り二つを選ぶ。その一つをまた歩きながら食べて、大通り沿いまで戻り、小さな釣具店の軒先で、セールになってる熊手を畑の草引きに良さそうなので買うと、貝を取る用のものだと教えてもらう。
https://gyazo.com/ea5aa5be2d3bc41aa8bd53f95803b786
牛窓のバスの車窓からの風景
https://gyazo.com/ef4bad5de84c6b23d53ea572b4197c87
小屋で売られていたスイカ
https://gyazo.com/9c9eae37cb8eb2cb281090431b6d7afe
もらったトマト
野咲タラ
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