明確な基準がないことへの不安
kana.icon
明確な基準がないことへの不安がとても強いです
「個人差」とか「人による」とか「趣味」とか「好き嫌い」とか言われると、恐怖感と不安が強すぎて拒絶というか拒否反応が出てしまう
こういうこという人怖い!! 世界も怖い、となってしまいます
特性ですかね。。。
特性もありそうですが、プログラミング的世界への慣れもあるかもしれませんねsta.icon
書いたとおりに動くとか、A入れたら必ずB、みたいな明快さがあるからプログラミング的な世界は居心地が良い
が、これに慣れ過ぎると現実(特に対人関係)が面倒くさくなる……
それが嫌でますますプログラミングとかに溺れる……
これに陥ってるエンジニアさん、結構いる印象
あーー、プログラミングやっているから顕著になっているのはありそうですkana.icon
たしかにそういうエンジニア、体感としてはわりといるな...
関数型言語の関数とか好きです 一定の入力で一意の結果が出るルールなので...
+1sta.icon
現実はプログラミングのようには行きませんが……w
それなんですよねー泣kana.icon
sta.icon
以下でいうとどっちがマシですか?
1: 明確な基準があるけどそれに従う労力はきつい
2: 労力は大したことないが明確な基準がない
これでいうと、sta.iconは2
(その場その場でベストエフォートはするが)テキトーに生きてるので、むしろ下手に明確なものが無い方が楽
無いなら無いなりに自分で適当になんとかする
逆にルールとかに従うのが面倒くさくて折れがち
IT全般も割とあれこれ勉強してルール把握してしたがってって感じなので、あまり得意ではない
一度慣れてテキトーにできるようになったら快適ですが
kana.iconは1のほうがマシと思うタイプですね
うまくルールを遂行する能力があるかという問題はありますが、気持としては明確な基準やルールがあり、それに従いなさい、というほうが嬉しいです
kana.iconの場合、面倒くさいの対象が「ルール把握して従う」ではなく「明確な基準がないorわかりにくいがいい感じでやる」にあたることが多いですね。
たとえば、お菓子づくりか家庭料理か、どちらがよりやりたくないかで言うと家庭料理です
逆の人もいると思います
お菓子づくりはキッチリ計測しないとそもそも失敗するし、専門用語や使用技術が多い
家庭料理はよしなにやっていいが、そのかわり人に聞いても「いい感じで」「ひとつまみ」という謎基準が発生する
しかし、工夫の余地は大きい
なるほど。これで言えばsta.iconはやはり家庭料理がマシと感じます
kana.iconあー。やっぱりそうなんですね
生活苦手はここからきているかもです
その場その場での臨機応変な対応が必要である
工夫しだいでどんなやり方もできるし結果もさまざまである(適当になんとかすることもできる)
一番得意な家事は皿あらいですが、家事苦手な人にはこういう人が多いイメージ
家事がトクイな人は工夫の余地のない家事を嫌う...らしいっすインターネットの人々の意見を参考にすると...
ビルゲイツも皿洗いはするって話がありました。苦手だけど皿洗いならって感じなのかなsta.icon
kana.icon単純作業で認知が奪われないからむしろリフレッシュになるなとも感じます
kana.iconあー、それはありそうです。
クリエイティブな気質じゃない人は家事をただただ面倒くさいと思う傾向?
しかし、別の分野ではクリエイティブな人が家事が苦手というパターンもある
その場合も気にいる家事をあげてみると非クリエイティブ、クリエイティブ気質で違うのかも