だれかにときめけるのは才能
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自分はリアルではフィクションでよくあるいわゆる「恋愛」(他者に理想を投影して偶像視したり、一目ぼれしたり? とか相手の存在自体が特別だと考えたりするもの)はしないんですが、する人いますよね
例がかたよってますが
kana.iconが自身のprojectでよく言及しているのは原田時枝さん(好き) あとはぜんぜん好きじゃないけど、twitterだと「雨あがりの少女」さんとか?
ここまでくるともはや「物語をでっちあげる才能」だけど。。。
こういうのって、惚れられる側が魅力的なのだというよりは、他者を特別にできる側(恋愛をする側)の適性が重要なのだと思ってます
実際は平凡でありふれたモノや人を、「特別なもの」と感じることができる、「特別なもの」に"する"ことができる人
この視点はありませんでした。そうかもしれないsta.iconsta.icon
感受性が豊か、との関係はあるのかなsta.icon
めっちゃありそうだなって思ってますkana.icon
kana.icon学生と恋愛の親和性が高いのは、「こんなに気が合うのはこの人だけ」ということや「こんなにイケメンなのはこの人だけ」ということが起こりやすいから 出会ってきた人間の数がそもそも少ない
流動的でないコミュニティだから、それ以外の人と出会う機会はほとんどない
→彼彼女の世界の中では 実際にそれ以外ない唯一無二として存在することになってしまう
kana.iconしかし、大人になって(生きている年数が増えて)なお恋愛できる人って良い意味で狂ってます
「こういう人はこの人しかいない」ということはありえないし、「自分が好きになるのはこの人だけ」というのがありえないということは理性的にはわかっている
それでも、自分独自に物語性を持たせるというのか、出会いやかかわりをドラマ化できる、特別性を付与できるからこそ好きになることができる
kana.icon趣味でもそうですよね。「これは前に見た」というところでスンっと冷めるというのか、純粋に「これはすげえ」と思えることは大人になると少なくなっていく
小さいころはほんとうに初めての体験だし似たものも見たことないから、感動する
では、似たようなものを百ほど見てなお、唯一無二のものとして扱うことができるか
なんなら、文脈を作りだすことができるか、物語を紡ぐことができるか、ということなのかもしれない
恋愛する人はもはや創作者なのだと思う
|自分の人生《ストーリー》という名の創作物を自ら紡いでいる感覚なのかなsta.icon
創作というと想像力や思考をもって文章で紡ぐことだが、一方で自分の人生を、自分自身を主人公にして、自ら歩いていく営為も一種の創作と言えるのかもしれない
後者を楽しんでいる?
kana.iconなんというか、他人に妄想フィルターを重ねるというのか...おそらく、恋愛する人って、「盛って」認識している気がするんですよね。好きなタイプの人を?なのかわからないけど、特定の特徴を持っている人??かもわからないんですけど、特定の他人や出来事を、です。
「自分の頭の中で脚色されたその人、や、出来事、」に酔っぱらえる ってかんじです
自分の頭の中で脚色したり、フィルターを通してものを見ることは人間誰しもあるんですけど、その傾向がめちゃくちゃ強いというか...
人の恋愛話聞いていると、事実とはかけはなれているというか、「でっちあげ」てるなと感じることが多く。
そういう「でっちあげ」ってもはや物語を捏造してません?という...
ああ、なるほど!ピンと来ましたsta.icon
kana.iconで、なんとなく小説家とか物語系の創作で食ってる人って恋愛体質の人多い気がする。同性愛者も含めて。多い...かはわからないけど、情熱的な恋愛をしているなーって人はいる。
なんというか、物語系の創作者が、その想像力を現実に向けはじめると恋愛しはじめる、みたいな...そんな感じに思ってます。偏見かもですが
想像力の過多を示す端的な指標が「色眼鏡の強さ」なのかもしれないですねsta.icon
kana.icon簡単にいえば、私が健全な少年漫画とか見てBL見いだしているのと同じくらい妄想力がたくましくないと、恋愛ってできないと思います。
kana.iconは三次元には向けられないけどポテンシャルはあると思います
kana.iconあー!! めっちゃありそうです
最近、二次元のゲイカップル(?)にならときめけるなと気づきましたが、それはそうとkana.icon自身もあまりそういう才能はなさそう