変えられないものには言及するな
美脚ですね、は嬉しいか
kana.icon
たとえば自分が鍛えていて、その鍛えていることを褒められたら嬉しいんじゃないかな
脚が長いですねーとかはぜんぜん嬉しくないと思う(すくなくともkana.iconだったら)
だって、それはたまたま脚が長く生まれただけで自分にはぜんぜん関係ないことだから
kana.iconはもともとすごく脚が太くてコンプレックスがあるのだけど、今はけっこうがんばって水を飮んでむくみを取ろうとしたり、インソールで歩きかた矯正をしたり、筋トレで脂肪燃焼を試みたりしている だから、kana.iconを昔から見ている人(家族とか?)に「脚細くなってきたね!」とかを言われたら嬉しいと思う
「化粧したらめっちゃ顔かわりますね!」「化粧上手いですね!」とか、kana.iconだったらすごく嬉しい
もともとブス寄りの顔をしているので、メイクは調べながら工夫してやってきたから それで、ある程度見られるような外見を作れていると自認しているから
※ ただ、これは逆に貶されたと感じて嫌な人もいると思われるので要注意!!
人によって使い分けるというか、相手のことある程度知った上で言うのが良さそうですねsta.icon
美脚ですねと褒めていい相手なのかどうかを見極める
というより「美脚ですねと言いたい」ありきじゃなくて、相手と過ごす上で自然と「これなら褒められそう」な点を見つけてそれを言う、くらいが良さそうか
+1kana.iconkana.icon*2
本質だと思います
「褒めたのに嫌な顔された」って人は、相手が言われたいことじゃなくて、自分が言いたいことを言ってる
そりゃあ、受け入れられないのもさもありなんなのです
基本的に、人は自分の能力や努力を褒められたら嬉しいと思う
>「IQ180」はどちらかと言えば不名誉な肩書ではないかと思う。確かに非現実的な突出した数値であることには間違いがないのだけれど、IQを言われてしまっている時点で不穏な感じ、もっと言ってしまえば持ってるIQを活用した成果を言われていない時点で何だかやるせない、止むを得ない雰囲気、切ないムードが漂っているように感じる。イケメン(kana.icon注:「イケメンだよね」といわれること)も同様に結果ではなく状態を言い表されている時点で、やはりちょっと切ない。暇を持て余しているような感じがある。休日は何をしているんだろうか、イケメンってやつは。男性タレントなんかはプロのイケメンだからわざわざイケメンですねと言われることもないだろう。だとしたら、ただイケメンということでイケメンということにされてしまった孤独な人々は、一体何を......? 美女のそう言われてしまった遣る瀬なさ、手持ち無沙汰な切なさには長い歴史があり文学がある一方で、イケメンにはまだそういった背景が何もない。憂い、哀愁、言外の情感を纏うこともままならずに、ただ爽やかでいるくらいしかやることがない。かなり暇である。平坦で、味がしない。この状況を何とか打ち破らなければならない、打破せねばならない。恐らく血眼になって何かを突出させる死に物狂いの努力をするんじゃないか。現状を鑑みるに、外見に注目が集まっている以上これを利用しない手はない。
生得的な能力について言及されるとしても、それをうまく使いこなした「結果」について褒められたい、言及されたいというものではないかな
たとえばイケメンであることを生業にしているわけではない人は、見た目について言及されることがそもそも嫌だろうし そうじゃなくて芸能人(俳優やジャニーズなど)としてイケメンを生業にしている人であっても、「イケメンですね」と言われるよりは、「この前のドラマすごくよかったです! 表現がうまいですね!」とか、「ライブのパフォーマンスがカッコいいですね!」とか「自己プロデュース上手いですよね!その髪型めっちゃ似合ってます」と言われるほうが嬉しいと思われる そういう意味では、「変えられないものには言及するな」はかなり正しいと思う
逆に、「当人が自分の意志で変えてきたもの」に言及するとよさそう
一般に、人の体型について何かいうのは失礼でよくないこととされているけど、もともとデブで、そこから工夫して痩せることに成功した人は、体型について褒められるのはある程度嬉しいことにあたるだろうし