超相対性理論の「組織での感情表現」シリーズのメモ
超相対性理論の「組織での感情表現」のシリーズを聴いた。おもしろかった〜。原題は下記。
組織での「感情」表現を考える
https://anchor.fm/super-relativity/episodes/91-1-e1tanh1/a-a95jtjb
https://anchor.fm/super-relativity/episodes/92-2-e1tb3ko/a-a95l93m
https://anchor.fm/super-relativity/episodes/93-3-e1tmfm2/a-a96rvcv
https://anchor.fm/super-relativity/episodes/94-4-e1u76pd/a-a98ncnk
荒木博行さんと渡邉康太郎さんの会話はぼくからすると武道の組手のような激しいものに見えるのだけれど、そこに散歩するかのようにスッと入っていける篠田真貴子さんにびっくりしてしまった。「場を乱さないように… いや、むしろ乱すつもりで!」と宣言してやっていくの、かっこいいなあ。
篠田真貴子さんはザッソウラジオでもお見かけしていた。
https://anchor.fm/zassouradio/episodes/1-To-Do-e1e3i16
「仕事や職場に感情を持ち込むべきではない」が約7割
仕事と感情に関する意識調査(個人編) - 株式会社リクルートマネジメントソリューションズ
ぼくは 1983 年に生まれて日本の義務教育を受けて日本の社会で育って…という生い立ちで、ぼくと同じような育ち方をしたら、多くの人は感情に蓋をする作法を体得していくように思う。んで、現在のぼくは「自分の感情を認知して、適切に付き合っていくのがグッド」と考えているけれど、これはたまたまそうなっただけで、日本の社会にはこういうスタンスを期待されていないように感じている。篠田真貴子さんたちの会話を聞いて、ぼくはそう自覚した。上記の調査結果を見ても、的外れな感覚ではないと思える。
発見がたくさんあったのでメモを残しておく。
感情の排除を求められるのはなぜ?
組織の業務において、再現性・構造化・スケーラビリティを期待されるから?
ウェルビーイング
「人生の充実度は、喜怒哀楽の総量で決まる」
出典不明
この命題が真であるかはわからないとしても、試しにそう考えてみるのはいい試み
喜怒哀楽のひとつひとつを「よくない」と排除しない方がよいのではないか
ポジティブ 対 ネガティブ
という軸の他に アクティブ 対 パッシブ もありそう
たとえば「怒り」を「ネガティブでアクティブ」と捉えてみると、原動力にはなりうる
ネガティブにも種類があって、ヤンキーのようにアクティブだったり、パッシブに閉じこもっちゃったり
感情と身体性
フィジカル 対 メンタル という軸もあるけれど
感情というのは身体の反応の特定のパターンにラベルを付与したもの、という捉え方
「鳥肌が立つ」「胃が縮み上がる」「汗が吹き出す」は身体の反応
ガット・フィーリング、Gut Feeling
他者の感情を都合よく扱おうとする
「やる気を出せ」「情熱を持って」「モチベーション高く」
「弱音を吐くな」「ネガティブなことを言うな」「仕事なんだからやれ」
出させる感情と、出させない感情があるのでは?
いい加減ってのは、グッドな加減
「感情を出していきましょう」と言うだけでは表現できるようにならないのでは
先述の調査結果からすれば、社会規範としては「出さない」雰囲気が強そう
Takram では「ふりかえりを実施したら、社のお金で打ち上げにいける」としている
そうすることで感情の発露を促そうとしている
仕組みでアプローチ
ローレンス・レッシグ Lawrence Lessig の「コード」
法律、社会規範、市場、アーキテクチャ
社会規範の変化には時間がかかる、短期的にはアーキテクチャで方向づけするのはよさそう