心理的距離と差別
たとえばぼくは、人間の断頭シーンを見たらかなりのショックを受けると思う。哺乳類の断頭シーンも、人間の断頭シーンほどではないかもしれないけれど、けっこう「うわっ」となりそう。目を覆いたくなるくらいには。想像だけど。
でも、魚類の断頭については大きな不快感を抱かずに見ることができる。爬虫類についてもそうかな。
なんとなく、ヒトを中心に置いた生物の系統図上で「ここまでは身近」と感じられるラインがあって、それより遠いやつについては断頭シーンも平気で見られるようになっていそう。そういう心理を持って生きていると思う。
そういう「親近半径」みたいな概念を導入したとして、ぼくの場合はたぶん哺乳類をカバーするような円を描いているような感覚があるのだけれど、人によってはヒトという種をさらに細かく分類して「国籍」「肌の色」「目の色」などに差を見出し、その分類の間に境界線を引いているのだろうか。この世に人種差別というものが存在する事実を直視しようとすると、そう考えざるを得なくなってくる。
人間の歴史をふりかえってみると、身分によって扱いを変えていた時代もある (今もある?) ので、なにをヨシとしてなにをワロシとするのかは、極めて恣意的なのだろう。2020 年のぼくの感覚はたまたま「政治的正しさ」の範疇におさまっているように自分では感じているけれど、いつかの未来には「魚を捌く」という行為が政治的には正しくないということになっているかもしれない。