論破よりもかっこいいこと
ただ、この雰囲気が強くなりすぎると時と場所を選ばずにむやみやたらと論破しようとする人間が増えそうで、それはぼくにとっては望ましくない未来につながりそうで最近は少し心配している。 論破というのは、競技ディベートのように「これは勝ち負けを決めるゲームです」と各位の認識があっているときにバチーンとキマればかっこいいと思う。フリースタイルバトルで鮮やかに決まったディスや、格闘技の試合できれいに決まったハイキックと同じ。バトルや試合といった場ではなく、それを路上でいきなり繰り出したらただの悪口や暴力にもなってしまう。勝ち負けを決する場です、双方の合意があります、ってときに美しく勝つのはかっこいいと思う。 ぼくが会社員としてお仕事をしていて、論破が求められるシチュエーションってそうそうないよな、と感じている。たとえば、わかりやすいシーンでいえば、ウェブアプリケーション・エンジニア的にはこういう実装にしたいけれど、ウェブ・デザイナ的にはこれでいきたい、という一見した対立構造があったとして。ここでは A 案と B 案を戦わせるような構図になるのだけれど、このときにどちらかが相手を打ち負かそうとする姿勢を取ったとして、それはぜんぜんかっこよくない。エンジニア的にもデザイナ的にも「これはいいね」と思えるような C 案を見つけるような動きがめちゃかっこいいわけ。 競技であれば「自分は A 案を推す係です」ってのはあるよね。人狼でいうところの「自分は狼です」みたいな。競技やゲームなら自分の役割を勝手に変えるわけにはいかないから、それを守ろうとするのはわかる。でもそうじゃなければ、自分が最初に示したスタンスを変えるのはぜんぜん悪いことじゃなくて、むしろ柔軟に発想を切り替える方がよくて、頑なにスタンスを変えずに論破を目指すよりもかっこいい進路があるってことです。
自分を勝たせて相手を負けさせる
自分と相手で痛み分けになる
自分も相手も大勝利する
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