構造を変えずに要素だけ入れ替えても問題は解決しない
松谷創一郎さんの会見を視聴した。知らなかったことをたくさん知れたのでありがたい。2023-07-11 から 3 日間くらいかけてじっくり視聴した。松谷創一郎さんのことは、これ以前には知らなかった。もしかしたら記事を読んだことくらいはあったかもしれない。 記者会見とのことだけれど学会発表のような雰囲気で進んでいて、ぼくにとっては見やすい・聞きやすい内容だった。ラップトップを開いて資料を映しながら話すスタイル、もっと採用されたらうれしいな〜と思う。 https://www.youtube.com/watch?v=GrguzAYY3Wg
時代背景や業界構造を示すために 1960 年くらいまでさかのぼって話していたのが印象的で、さながら「COTEN RADIO ジャニーズの歴史編」という迫力があった。COTEN RADIO において深井龍之介さんたちがよく言うことで、歴史に名を残すような個人は個人として注目されがちだけれど、そういった個人が名を残すに至る背景や流れってのがあるものだと思う。松谷創一郎さんは、繰り返し「構造」という言葉を用いていた。 質疑応答の中で「べき論が好きではない」とリアリスティックな性格を見せていて、また終盤では「記者会見をしてくれ、とは思っていない」「記者会見が開かれて、泣かれて、溜飲を下げるようなことになってほしくない」と吉本興業の闇営業問題のときの例も交えながら話していて、へぇ〜と思った。 こういう場で堂々と「記者会見しなくていい」と主張している人を見たのは初めてかもしれない。 ぼくは「記者会見って、なんなんだろ?」と思っていて、記者会見の効能とは?というページをつくったこともあった。記者会見をやることと、その組織が長期的に問題と向き合って解決していけるか、ってのは別の話だと考えている。記者会見をやるよりも、しっかりとしたドキュメントを出してもらう方が判断材料が増えてありがたいと思っている。 「ジャニーズ事務所は義理・人情を重んじる」「感情的なつながりを大事にする」という指摘があった。「記者会見すべき」という価値観も、ぼくには「義理」を重んじるような姿勢に見えているかもなあ。大事なのは適切に情報を開示することであって、そのために記者会見が適切な手段なのであれば実施すればいいけれど、いまジャニーズ事務所が記者会見を開いたところで重要な情報はあまり出てこないとぼくは思っているのだろう。 https://gyazo.com/7fe593eba1b19b31a5361810b21ca4e7
以下、ぼくの理解にもとづいてメモを残しておく。
構造
人材の流動に摩擦をかけるような構造があると、なにかあっても声をあげにくくなる
キャリア、ひいては人生が人質に取られている状態
芸能界に限らずスポーツ界などにも言及しつつ、状況が改善されてきていることが示された
契約や制作などにおいて「共犯関係」をつくりまくると雁字搦めになって誰も身動きが取れなくなる
義理・人情といえば聞こえは悪くないが、芸能界で行われていることは搦め手だと感じた 困ったときに助け合う義理・人情はいいけど、なにかを封じるような空気はダサい 特定少数の個人に権力を集中させると暴走につながるし、止められない状況にもなる
「巨大な悪の組織」をイメージすると見誤る
ためしに未来を考えてみると?
退所や移籍をやりやすくします、と宣言するとともに業界団体をつくって透明性を担保して運用していく、とか
楽曲の権利の持ち方は今後はこうしていきます、と宣言する、とか
映画やドラマの制作とは、こういう関わりにしていきます、とか
自分はどうしていくか?
関わる現場で「おかしいな」「まずくね?」と思ったら、まずは声をあげる
これまでにも声をあげたことはあったけれど、うまくいったりいかなかったり
「この構造だと、この人が暴走したときに止められなくない?」 「この構造だと、A と B が結託して悪さをしたときに止められなくない?」 自浄作用が働かないのはダサくて悲しいとは思うけれど、それはそれとして 逆手に取って「外圧を、自浄作用発生装置として活用する」というアプローチはあるかもしれない 人より場所にフォーカスし、動機より機会にアプローチするのページにも少し書いたけれど、なにか問題が起きたときにはついつい「特定の個人」や「特定の組織」に目が向きがちだと感じている。ネットワークの構成要素である「点」にばかり意識が向いてしまう。点と点の間には関係性の「線」があって、それらの点と線が織りなす「構造」の方まで捉えないと問題の解決に近付けないことが、あるだろう。 ジャニーさんはもう亡くなったから、ジャニーズ事務所を解体すれば、それで問題は解決だ。そんな単純な話ではないと認識している。業界の構造が変わらなければ、形を変えてまた別の権力者が現れてやりたい放題やってしまうのではないか。