人より場所にフォーカスし、動機より機会にアプローチする
学校では「不審者に気を付けて」と教えているかもしれませんが、海外ではそうした教え方はしていません。不審者、つまり「これから犯罪をしようとする人」は、見ただけでは分からないからです。「不審者に注意しましょう」と言われても、注意のしようがないのです。むしろ、人間不信や差別意識を植え付けてしまうかもしれません。
たしかに、人間不信や差別を強めるデメリットはありそうだなあ。 海外では「危ない人」ではなく、「危ない場所」に注目しています。「危ない場所」なら、見ただけで分かるからです。
繰り返しになりますが、海外では、「不審者」という言葉は使われていません。
防犯にとって重要なのは、「人」ではなく、「場所の景色」だからです。こうした立場を、「犯罪機会論」と呼びます。
日本では、「人」に注目し、動機があれば、犯罪が起きると思われています。しかしこれは間違いです。動機があっても、機会、つまりチャンスがなければ、犯罪は起こりません。動機を持った人が、機会に巡り合って、初めて犯罪が起きるのです。そのため、動機をなくせなくても機会さえ与えなければ、犯罪は起きません。
例えば海外の公園では、遊具を「子ども向けゾーン」に集中させ、フェンスで囲んでいます。「大人向けゾーン」とはっきり分けることで、犯罪者が「入りにくい場所」にしているのです。さらに、「子ども向けゾーン」の緑は少なめにして、「見えやすい場所」にしています。
これが、「犯罪機会論」に基づくゾーン・ディフェンスです。「場所で守る」「地域で守る」という発想ですね。
しかし、日本では「犯罪機会論」が普及していないので、子どもが一人で犯罪者と対決する、マンツーマン・ディフェンスが普通です。「防犯ブザーを鳴らそう」「助けて、と叫ぼう」「全力で逃げよう」。これらはすべてマンツーマン・ディフェンスです。
マンツーマン・ディフェンスは、「襲われたらどうすべきか」という発想です。対照的に、ゾーン・ディフェンスは、「襲われないためにどうすべきか」という発想です。
さて、みなさんは子どもが絶体絶命に追い込まれるマンツーマン・ディフェンスを選びますか。それとも犯罪者が犯行をあきらめるゾーン・ディフェンスを選びますか。
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@ikujidays: 小1の娘が学校から帰ってきて「今日ね、校長先生と遊んだの!遊ぼうって言ったらいいよって言ってくれて、校長室に入れてくれて一緒に折り紙したの」とニコニコで教えてくれた。 娘のコミュ力もすごいけど、一年生と折り紙で遊んでくれる校長先生も素晴らしいな。
@ikujidays: このほっこりする校長先生エピソードに「女児と校長室で2人きりでなにかあったら‥」って引用が何件かついていたのですが 安心してください。
娘の校長先生は女性です!!!!!!
それにしても、校長先生すら疑いの目で見てしまうとは、嫌な世の中だよねぇ‥
たまたま見かけたこれらのツイートと、そこに寄せられる周辺の声についてメモする。
「校長先生」とだけ書かれるとデフォルトで男性を想像するバイアスが現代日本社会にはありそう
「女性だから安心してください」に感じる危うさ
「校長先生すら疑いの目で見てしまう、嫌な世の中」に感じる危うさ
「校長先生だから大丈夫」「女性だから大丈夫」というのは、安全を「個人」や「個人の属性」に求めるスタンスなのだろう、と解釈した。この世には「信頼できる人」と「信頼できない人」がいて、信頼できる人が相手ならすべて安心、というスタンス。
ぼくが小宮信夫さんの文章から学んだことは「もっと場所と機会に着目しましょう」という観点なので、それになぞらえて考えてみると。 校長室は、廊下から中が見えるようになっています
先生と児童は密室でふたりきりにならないように徹底されています
といった環境面での打ち手によって安全と安心を守っていくとよいのではないか。個人や肩書に盲目的に信頼することで環境がどんどん安全から遠ざかっていくと、悪い機会を増やすことにもつながりかねない。
2023-07-10 時点で小学校でのボランディア活動に携わっている自分としても他人事ではない。「ぼく個人を信じてください」と言うつもりもないし、なんだったら自分でも自分のことを信じていないというか、状況さえ揃ってしまえば自分も不正に手を染め得る、くらいの自己認識を持って、そのような状況をとにかく回避できるように努めていくつもりである。