敬語のナルシシズム
人はなぜ「させていただく」に違和感を抱くのか。それは、どのような使われ方をしたときなのか。調査・研究し、『「させていただく」の語用論』(ひつじ書房)としてまとめたのが、法政大学の椎名美智教授だ。椎名さんの専門は言語学。「歴史語用論」という、ある言葉が時代を通じてどのように使われてきたかを論じる方法で「させていただく」を調べた。
椎名:本来は、相手からなんらかの許可や恩恵があるときに使う言葉なんです。でも今は「このたび本を出版させていただきました」のように、対象となる「あなた」がいなくても使われているんですね。「いや、私はなんの関与もしていないんですけど……」と、聞き手にとっては自分に関係のないところで行われていることにも「させていただく」を使っている。
さかのぼっていくと、明治時代の文明開化で、社会の身分制度がなくなりました。身分制度がなくなると、「あなた」がどういう出自かわからないんですね。「あなた」の側も私のことがわからない。そんなときに失礼のないようにしたいので、とりあえず敬語を使っておこうと。敬語を使うと無難なんですね。そうした「敬意のインフレーション」みたいなものが起きて、敬語がいっぱい使われるようになった。19世紀半ばに「〜ていただく」という形が生まれ、19世紀の終わり頃にはすでに「させていただく」が誕生しています。
私が若いときは「くださる」が丁寧な言い方だったんですね。「させてくださる」の形でもよく使われました。だけど今は「させてくださる」が使われなくなって、「させていただく」が使われていることがわかりました。「くださる」は敬語形なんですが、主語があなただから言葉であなたに触れるので、使ってるうちに敬意がすり減ってしまうんですね。それで、「させていただく」へとシフトしてきたんだと思います。
「敬意がすり減る」って、おもしろい現象だなあ。
「させてくださる」と「させていただく」を比べると、「させてくださる」は主語があなたなので、言葉であなたに触れてしまうんですが、「させていただく」は自分が主語なので、あなたに触れずに丁寧になって距離感が出せるので、無難なんじゃないでしょうか。特に、「あなた認知」の動詞は、距離感のある「させていただく」と一緒に使うと、遠近両用っていうか、押しつけがましさが薄れて、ほどよい距離感が演出できるからだと思います。
というわけで、「させてください」とか「お…する」とかで他者指向的な敬語で言ってたものが、自分がへりくだる丁重語的な「させていただく」に取って代わられることで、敬意が他者に向かなくなっているわけです。「表敬」の敬語から「品行」の敬語へのシフト、「敬語のナルシシズム」と言える現象かもしれません。
しばらくはこうした状況が続くんじゃないでしょうか。あと10年ぐらい経つと、「させていただきます」では「敬意が足りない」となるんでしょうかね。そして「させていただいてもよろしいでしょうか」や「させていただいてございます」でも敬意不足ということになったら、きっと、違う表現が登場してきてると思うんです。楽しみにしていてください。