定型句コミュニケーションに対する苦手意識
自分は「定型句コミュニケーションが苦手だな」と思うときがある。なんで苦手なんだろう、なにが苦手なんだろう、と以前から考えてはいて、最近になって「こういうことかも?」と仮説が浮かんだので書いてみる。 まず前提として、定型句が生じるようなシーンというのは「あいさつ」や「気遣いの言葉」があるとプラスになるシーンであることが多いと思う。そういった声かけについて分類してみると、下記のようになった。 (A) 思っていることを自分の言葉で伝える
(B) 思っていることを定型句で伝える
(C) 何も伝えない
(B) と (C) を比べると (B) の方がいいのかもしれない。(C) だと「一言くらいあってもいいじゃない!」と思われたりするイメージがある。ぼくがふだん接することが多い人たちは (A) をやってくれることが多くて、それと比べて (B) が見劣りして感じられるのかもしれない。
「本当に思っているのかな」「思ってもいないんだったら言わないでほしい」と感じてしまうときに「苦手!」となっているように思う。(A) はおいしい食事、(B) は味のしない食事、(C) は断食という感じ。
あと、自分が定型句コミュニケーションを活用するシーンもあるのでそれも書いておいた方がフェアだな。社内の人が相手のときは使わないけれど社外の人とのメールのやりとりでは定型句を使うことがある。初対面の人・よく知らない人が相手の場合は、うまく (A) を出せない。なので、無難な選択肢として (B) を選んでいるだろう。少しずつ関係を構築できてきたら (A) を出せるように努めるようになる。 追記
(D) 思っていないことを定型句で伝える
ってケースもあるな。ぼくは (D) がとても苦手で、それが定型句コミュニケーション全体に対する苦手意識につながっているのかもしれない、と思った。 関連
ぼくは「定型句は相手に向けた言葉ではない」と感じる傾向がありそう
「丁寧なわたし」を演出するお決まりの言葉、みたいに感じてしまっているのかもなあ