一隅を照らす
「一隅(いちぐう)を照らす」という言葉は、天台宗を開かれた伝教大師最澄(でんぎょうだいし・さいちょう767~822)さまが書かれた『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の冒頭にあります。
また、「一隅を照らす」という言葉については、「照于一隅」「照千一隅」というような議論がありますが、昭和49年7月23日に開催された天台宗勧学院議において「照于一隅」を「一隅を照らす」と読み下すという統一見解が出され、一隅を照らす運動総本部では、この決定に依拠しています。
「径寸十枚是れ国宝に非ず、一隅を照らす此れ則ち国宝なり」
「径寸十枚」とは金銀財宝などのことで、「一隅」とは今自分がいる場所や置かれた立場を指します。
お金や財宝は国の宝ではなく、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝なのです。
「国の宝になりた〜い」と思っているわけではないが、一隅を大事にしたいとは思うね。照らせるとしたらめっちゃかっこいい。一隅を照らす、そういうのを目指してやっていきたい。