一列に並んだ大勢のうちのひとりとして可視化されたくない
という気持ちが自分にはあるような気がしたのでメモ。本当にあるんじゃろか。わからんけども。
有名人や大手企業のアカウントなど、多くの人の目に触れるコンテンツのコメント欄にコメントを投稿しようと思えない
友人知人がソーシャルメディアでライフイベントの報告をしたとき、自分以外の多くの人がコメントやリプライを投稿するだろうな〜と想像がついてしまったら自分は一歩引いたようなポジションになって投稿を控える
自分に上記のような行動特性があることは 10 年以上前から勘付いてはいたが、最近になって明確に「自分はこうだよな」と認識するに至った。なんでなんだろうな〜と考えたときに、ページタイトルのような気持ちがあるのではないか、と想像した。
鬼龍院翔さんが結婚を発表したとき、Twitter 上で鬼龍院翔さんのアカウントに対する祝福のメンションが多数寄せられているのを観測して、自分はここに並ぶテンションにはならないよな〜と静かに思っていた。だからといってお祝いしたくないわけではなくて、おめでとうございますの気持ちはしっかりあって、2021-09-05 の日記には「おめでとうございます」ってちゃんと書いてある。 「みんながそれをやるなら自分は遠慮しておきます」みたいな、天の邪鬼なところは小学生くらいの時期には発現していたような気もするなあ。真っ向勝負を避けがちな人生にも似たようなことを書いた。 こういう自分を認知すると「気難しくて、生きづらそうな人だなあ」と他人事のように思ったりもする。