真っ向勝負を避けがちな人生
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中学校を卒業して高専に入学して、同学年の中ではマイノリティになった。中学時代の同級生たちが高校卒業を控えて大学受験や就職活動で慌ただしくしていた頃、ぼくは高専 3 年から高専 4 年に進級するのを控えているだけだった。高専卒業後は大学に編入学したので、いわゆる「大学受験」ってやつは回避していて、いまだに偏差値がなんなのかよくわかっていないし、学歴〜みたいな話になったときの「あの大学は◯◯ランク」ってのがぜんぜんわからない。 大学・大学院を卒業して「働くぞ〜」というフェーズになったときは、リファラルというか、よく知っている人たちがつくった会社に入社することにしたので、いわゆる「就職活動」ってやつを経験しなかった。 かつてクックパッドさんが開催していた『開発コンテスト24』というイベントがあり、仲間たちとチームを組んで参加した。ありがたいことに第 2 回と第 3 回で「特別賞」という光栄な賞をいただいている。このコンテストでは「第 1 位」「第 2 位」「第 3 位」というわかりやすいトップ 3 とは別に、便利な「特別賞」という枠があって、ぼくらは「第 1 位」よりも「特別賞」を狙っているところがあった。この例はチームでの活動なのでぼく個人の方向性というわけではないけれど、真っ向勝負よりはテーマを少し斜めに捉えて特別賞を狙いにいくのは「自分っぽいなあ」と思っている。 https://gyazo.com/d4d8c88fe98c7eb578c50a4fa572d7ad
「決められたルールにもとづいて大人数でヨーイドンして順位が決まる」系の勝負を避けがちだと思う。特に「能力値の大小」がそのまま順位に直結するような勝負を避けがち。自分の個体としてのスペックに自信がないからそうなっている、と自分では解釈している。劣等感やコンプレックスがあると言って間違いないだろう。 じゃあ人生をあきらめるかというとそういうわけでもなくて、自分が勝てそうな領域を探して見つけて手を出すとか、自分が活躍できる場を作り出して踊るとか、そうやってなんとか生きてきた。
ひとつの専門分野に特化して「ここでは誰にも負けないぜ」というスタンスで生きる人は、本当にかっこいいと思う。自分はそうはなれていないなぁと思うのでずっと憧れがある。
生存戦略めいた話をすると、自分は好奇心を強く持って広く世の中を見渡すことで「A と B の両方の話がわかる人は多くない」「A と B をつなぐ役割の人は多くない」という点を見つけるように生きてきた。近年の世の中的なトレンドでいうと xTech なんかは自分にとっては救いがあるというか、ソフトウェアの性質をよく理解した上で別の領域に踏み出していけばしばらくは食い扶持に困ることはなさそうと思っている。 「まあ、死にはしないだろう」という感覚はあるけれど、未来をどのように生きていきたいかを考えると、どこかで「真っ向勝負」に挑むようなタイミングがあってもいいのではないか、とも思うのだった。 …と、ここまで書いてきてようやく気付いたのは、自分は真っ向勝負だけじゃなくてそもそも「勝負」全般に対してあまりピンときていなさそう。物事を「これは勝負だ」と捉えるようなメンタルモデルを持ち合わせていなさそうな気がする。競争よりも、協調や共存共栄の方に意識が向きがち。誰かを負かすためになにかをしているのではなくて、自分を含むチームや組織や業界や系を繁栄させるためになにかをする、という発想が根強く存在していそう。勝ち負けはあとからある軸で見たときの結果でしかない、みたいな。ぼくの成長過程において、勝負や勝敗といった発想を叩き込む人が周囲にいなかったのか…? hr.icon
なお、人生の各フェーズにおいて明確にそのような自覚があったわけではなくて、2021 年の 38 歳の自分が
に絡めて立ち止まってふりかえってみたときに、そういった面もあったのではないかとあとづけで記しているのがこの文章だ。なので、事実に対して必ずしも正確な認識ではないだろうが、完全に的外れというものでもないだろうと自分では感じている。