生きている間に語り始め、語り継いでいく
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ジャンプ誌上でたくさんの作品を発表された鳥山明先生が逝去されました。
突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております。
抱いたと思う、とぼんやりとした表現になったのは、どうにも自分は「人の死」というものをちゃんと理解できている気がしないのだ。今回のことに限らず、有名人の訃報を受け取ったときに、周囲の人々はそれぞれに追悼の言葉を述べていたりするのに、自分はそういうのができていなくて、なんで自分にはそれができないのだろうとよくわからない不思議な気持ちになりがち。以前にも書いていた。 もちろん「書いているのは、書けている人」というバイアスがあるので、ぼくが「みんなできている、できていないのはおれだけ」と認識するのも違うのだろう。鳥山明さんほどの名が知れた人でも、故人に関してなにかを述べている人の方がおそらく少数派だ。決して少なくない少数派の人々の投稿をいくつも見聞きするものだから「みんな、できている」という感覚になりやすい。ってことだと思う。 にしても、ドラゴンボールやドラゴンクエストやクロノ・トリガーなどから多大な影響を受けて育ってきた自分なのに、鳥山明さんの訃報を受けても「悲しい!!!」「ショック!!!」「喪失!!!」とわかりやすくそういった気持ちになれない自分に、どこかがっかりする気分があった。悲しいのは間違いないと思うけれど、そこまで心に揺らぎが生じていないというか…。 やっぱり、自分の心の一部がひどく幼いままなのではないか、と感じる。よく漫画なんかに出てくる、死という概念を知らない幼児のような反応に思えるときがある。
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もしかしたら、とても身近な生命との別れを経験したら、もっと死というものの意味を理解できるのかもしれない。いくら実年齢が増えていっても「経験がないからわからない」という類のものはたくさんあるので、自分が「命が失われた」を実感をもって感じられるようになるのは、その手の経験を経てようやく、ということになるのだろうか。今はわからない。
話したい事が沢山溜まってます。いろんな話があるんです。興味のない話は、いつものように、うわの空に聞いてもらってもいいんで、もう一度話したいです。
私の、また連絡くださいとのメールの返事に、軽くOKって書いてあったのが最後なんて、ダメです。心底辛いです。
桂正和
とても仲のよい友人だったのだな〜と感じられて、その人がこんなに悲しんでいるってことは、これはとても悲しいことなんだな、と理解が少し進んだように思えた。今の自分は、独力では誰かの死を受け止めて解釈することができず、他の人々の視点や言葉を借りると、それよりは少し理解できるということなのかもしれない。
訃報から数日を過ごして、いろんなところで、故人への偲びを見聞きした。人の死というのは、この人間社会において、なにかを刺激する強い引き金なのだと思う。それぞれが「なにかを言わずにはいられない」状況なのだろうと想像した。 その引き金に起因した揉め事や言い争いの類を見かける機会も少なくなかった。とても残念だ。人の死に限らずあらゆるきっかけを火種として無数の心ない言葉が飛び交うのを観測できるのが 2024 年の今日なので、これに関してはまあ、今回の主題とは別の話としよう。しかし、誰かが亡くなったときにその文脈で言い争う人々を見かけるのはシンプルにつらい。仕方ない、と思いたくない気持ちがまだ残っている。
さて、自分の気持ちをどう落ち着けようかと考えながら過ごしているときに、下記のブログ記事をなんとなしに見かけて、読んだ。なるほどな、と思うことが書いてあった。
確かに人が死ぬのは悲しい、ショックだ。だが、人は必ず死ぬ。だから人が死んだときに後悔しないように常日頃から好きな人の事は生きている間にチヤホヤして美点を語っていくのがいいと思う。
そうだな、死んだらいきなりいろいろ言う、ってことにほんのりと抵抗を感じている自分がいるのかもしれない。これの類型はいくつか知っていて、ひとつは「退職します」となったら同僚たちから「実は、あなたのことをこういうふうに思っていました」と聞かされるやつ。こういうの、お互いにね、もっと早くに言い合えたらよかったですよね、となったことが何度もある。なぜなのか。
それを思えば、なにかを言わずにはいられないような想いを抱えている相手がいるのなら。やっぱり生きている間に伝えていくに越したことはないだろう。相手が死ななきゃ言えないような想いなんて悲しいと思う。
ぼくもやがて、親しい人の死を通じて、ようやく「死」というものを理解していくのかもしれない。そのときに「ああ、こういうことか」「この人には、生前にこういうものをもらっていて」「どうして伝えなかったんだ、うああ……」となるかもしれなくて。想像しただけで胸が痛くなってくる。いやだな。
ぼくは今日から、これまでにお世話になってきた人たちの顔を思い浮かべながら、具体的なエピソードを思い出せたものから、どんどん書き記していきたいと思った。生きている間に語っていこう。その人が死んだときに、あらためて言わなきゃいけないことが残っていないくらいに、生きている人と向き合っていきたいと思う。理想を語っているだけかもしれないけれど、理想を語っていきたい。