対話の「やってよかった」を増やしたい
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コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことである。ぼくの対話におけるスタンスはそんな感じ。あるトピックについて「今のところ、自分はこういう意見だな」を事前に準備して持ち込むことはあっても、その意見への執着はあまり持っていないと思う。意見が変わる覚悟を持って臨む…というよりは、他にどんな意見が出てくるのか、それを受けて自分はどう感じるのか、楽しみだな、わくわくするな、という気分で対話の場に向かうことがほとんどだ。
いま自分がそういうスタンスでいられるのはなぜだろう、と考えてみると。これまでの対話に「やってよかった」と思わせてもらえることが多かったからだろう。対話の場を経て、新たな知識や視点が得られた。対話の場を経て、自分ひとりで考えていたときよりも質の高い意思決定に到達できた。そんなハッピーな経験を繰り返してきたことで、対話に対してポジティブな印象を持つようになった。これまでにハッピーな対話の場を与えてくれた周囲の人々に感謝である。
逆に、対話に行ったつもりが「こちらの話をちっとも聞いてもらえなかった」「意見を頭ごなしに否定された」「結論ありきで、相手の演説を聞かされるだけだった」なんて経験が続いてしまうと、対話へのネガティブな印象がへばりついてしまうだろうな、と想像する。対話を避ける人が増えると社会全体の意思決定の質が下がり、協調よりも対立が選択されてしまうことが増えるだろうとぼくは考えているので、なんとかして対話の「やってよかった」をひとつでも多く成立させていきたい。
昨今の日本においては「論破はかっこいい」という雰囲気の強まりを感じるところがあり、ぼくは困っている。論破よりもかっこいいこととして「対話によって上位目標を創り出す」があるよ、というのを伝えていきたいし、素朴に「論破より対話の方がかっこいいじゃん」と思わせてくれるシチュエーションを増やしていきたい。